小竹岩楠翁銅像銘

 保田龍門氏作の銅像は戦時中金属回収の際に献納され長い間大理石の球が置かれていたが、昭和39年3月31日再建された。

 表には「小竹岩楠君之像尊由書」と題し背後の銅版には翁の南紀開発に功績があったことが記されている。

 再建  建立 昭和39年3月31日

 白浜町常喜院境内に在り、保田竜門氏の銅像は戦時中金属回収の際に献納され、長い間大理石の球が置かれていたが、昭和三九年三月三十一日再建された。

 表には「小竹岩楠君之像尊由書」と題し、背後に次の銘文が銅板に記してはめられている。

 上記の尊由とあるは西本願寺の大谷尊由師の事である。

   小竹岩楠君行状

 小竹岩楠君ハ塩路彦七君ノ次男ニシテ明治七年十月紀伊国日高郡御坊町ニ生レ三十三年出デテ薗ノ小竹家ヲ継ギ大橋長次君ノ女ラク子ヲ納シテ夫人トシ二男二女ヲ生ム。君東京高等商業学校ニ学ビテ帰ルヤ、全力ヲ傾蕩シテ地方ノ産業ヲ開発ス。其中白良浜ノ温泉ヲ開掘シテ一新天地ヲ開キ、自動車ニヨリテ和歌山ト温泉地ヲ聯結シテ南紀開発ノ基ヲ立テシ二事ハ特筆大書スベキ功績ナリトス。

 昭和八年九月病ニ臥シ十月五日長逝ス。年六十、法名ヲ釈光超ト称ス。郷人其徳沢ヲ追憶シ群ヲ為シテ棺ヲ送ル。

今君ガ故旧相謀リ君ガ流風遺韻ヲ永ヘニ記念セント欲シテ銅像ヲ建テ其背後ニ文ヲ刻セントシテ余ニ之ヲ求ムルニ

会ウテ乃チ茲ニ君ノ行状ヲ誌ス。(原文のまゝ)

  昭和十年十月

          竹越与三郎 撰

          八巻嘉作  書

 竹越三又氏は新聞界の長老、その著開国二千五百年史は有名、枢密顧問官。

    八巻氏は会津の人、元田辺中学校長。 共に故人。

  参考文献 大阪毎日新聞和歌山版

  白浜温泉 恩人銅像 常喜院別院前へ

 既報 かねて計画中の白浜温泉開拓の恩人故小竹岩楠氏の銅像建設につき十五日彫刻界の逸才本県出身保田龍門氏を迎えて実地調査の結果場所は常喜院別院前と決定、大きさは七尺乃至八尺の洋服姿の立像で花崗岩の台石ともで,一丈五尺の高さで総工費一万円をもって本年十月六日までに保田龍門氏の手で製作されることとなった。

参考文献 昭和10年2月17日 大阪毎日新聞和歌山版

注,漢字など現在文に修正した。

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