口紅の遺書詩 |
三段壁巌頭 白浜の海は 今日も荒れている。 一九五〇・六・一〇 定一 貞子 |
心中した大阪の男女が、多分女の手であろう口紅で大きな岩の斜面に書きつけたもの、消え去るを惜しんで誰かヾそのまゝ岩に刻んだので、碑という程のものではないが、事後既に十四年、なお人の心を引いている。 富田中学校教諭中瀬喜陽氏がこの句を歌って「毎日歌壇」に投じた歌が、選者川田順氏によって特選になったことがある。 「心中せし人が遣せし岩の文字 白浜の海は今日も荒れている」 昭和25年6月10日、戦後日記より 義兄妹口紅心中 「白浜の海は、今日も荒れている」で有名を口紅心中があった。 男は堺市風南町五 大西定一(二二)、女は同所 須藤貞子(一八)二人は先妻の子(定一)、現在の妻のつれ子(貞子)で胸を病み、恋と厭世感から白浜に来た定一が、妹の貞子を白浜へよんで二人で心中した。 兄妹のゆるされぬ結婚と病苦から、口紅の碑は友人が掘ったもの。 |
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建立 昭和26年6月10日 |
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