防空壕 Photo/2004-09-08 平草原 |
昭和13(1928)年頃、平草原に防空監視所ができた。 |
記録 昭和13年頃 平草原に防空監視所ができた。
昭和17年4月25日 防空監視哨慰問 各町内会並びに団体で毎月輪番に慰問することを申し合わせる。 昭和18年1月2日 中部〇〇部隊の白浜駐屯部隊到着 昭和18年7月26日 平草原に駐留することになった部隊の兵舎完成までの間、兵隊さんたち湯崎国民学校に宿営と決まる。 昭和18年8月5日 かねて手配中の中部〇〇部隊の白浜駐屯近藤隊将兵七〇名到着、沿道の各戸国旗掲揚、両国民枚生徒ら歓迎に出迎かう。 昭和19年4月11日 平草原陸軍〇〇部隊の防空壕の設営を依頼されているので、近く町の勤労報国隊出動して完成することになったので、幹部ら現地調査に行く。 昭和19年5月14日 平草原の陸軍〇〇部隊の防空壕設営の勤労奉仕に町勤労報国隊員出動、この工事約十日ばかりもかかり、約○千名位いも出なければならない見込み。このエ事、五月二十四日に完成する。 昭和19年5月24日 かねて勤労報国隊員により連日作業の所、本日完成。 昭和19年11月15日 平草原陸軍兵舎の勤労奉仕、本日より開始。 昭和19年11月18日 兵舎勤労奉仕中の湯崎鈴木弥寿子君、急性盲腸にかかる。 昭和20年2月23日 平草原潮陸軍駐屯部隊慰問のため宝塚歌劇団一行来町。 昭和20年7月13日 平草原潮部隊兵舎建築で貝原隊長と西藤次郎高西組社長と役場で打合わせる。 昭和20年7月16日 潮部隊建築で町内の大エさんに集まってもらって協力要請する。 昭和20年17日 潮隊勤労奉仕、義勇隊瀬戸一丁目分団が出動。 昭和20年7月23日 潮部隊の放送設備取付け完了し、町内向けに敵機来襲状況など刻々と放送されることになる。 注、記録より平草原と判別できるものを掲載した。 探検隊(但し一人)、平草原の紀州博物館の学芸員玉田伝一郎君が「防空壕が残っている」と言う。 平草原に幾つかあった防空壕は、危険とかで埋められたりしたと聞いていたので、本当かなと思ったが、現場に行くこととなり、道を間違えながらも、案内された。 その時の写真です。入口付近から内部を撮影する時、上からでしょう水の落ちる音が連続的に聞こえ 、不気味であった。 (下の写真、防空壕入口付近より Photo/2004-09-08 平草原)
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