千畳敷・芝雲岩・横地より本礦(ホンマブ)谷 を望む                      Photo/2004-09-16

 説明

 参考文献

 三段の海軍特殊部隊
 千畳敷の一つ南の岩場に海軍特殊部隊(兵員50名)が駐屯していた。
 この部隊は海中を三方に向かって約一万メートルのケーブル線を引き、紀伊水道を通過する艦船のスクリュー音を探知するもので、この沖を通る米軍潜水艦の発見が主な目的であった。
 この部隊に関する資料は特殊秘密施設の関係から軍の機密で皆無である。
 只この土地は昭和16年(1941)に白浜町より白石土地に売り渡し、その後海軍が白石土地より買収(約四千坪)して特殊施設をつくったものである。
 施設は大砲を据える三角の石積み陣地、それに岩を掘った火薬庫、防空壕が戦後も残っていた。
海中に張られたケーブル線は昭和26年(1951)10月に引き揚げられ処分された。

 昭和26年10月31日

 旧海軍の電波探知器の電線引上げ

旧海軍が千畳敷と三段壁の間から、三方にはった一万米の海底電波の電線八千米がこの程引き揚げられた。これは敵潜水艦のスクリュ音を開く、海軍の秘密施設で、ここを通過する船のスクリュ音はすべて調べられていた。


 これ発見は全く偶然。

 老人、本年9月なのに日付は忘れたが、紀州博物館の玉田伝一郎君と本礦(ホンマブ)谷に探検を約束して、千畳の本礦谷の上で待合せていると、シニアパソコンクラブの宮原克典君と出会い、三人で本礦谷の海岸へ行く事となった、 出来事は別にして、ふーと、岩壁を見るとちょうど、コンクリートの境界杭のようなものが見えた、その時は「地震が来たら大変だ」と言うて、岩壁にも登らないで、何かも、判らなかった。

 2004年9月15日橋立開門の上の岩場から下を見ろと、同じような物があるではないか、写真撮影して解析したが、「九」は判別できるが、この杭が何かが判らない。

 2004年9月16日玉田君に電話して、二人で探検隊、本当はマブ(鉛を掘った穴)のことが書いてあると期待したが、日本海軍の秘密施設のあとであった。

 では、ご覧ください。当初の写真の岩壁に二つだけ、ケーブルを張ったあとが残っていた。 橋立開門近くのは、干潮時で、波が穏やかでないと、見ることが出来ないと思う。

 本礦谷の海岸線より上の岩壁  Photo/2004-09-16

 本礦谷の海岸線より海より、一つですが文字など記載は全て撮影  Photo/2004-09-16

 昭和24年に撮影された秘密施設の写真をご覧ください。上の写真の解説はしません。

 元海軍用地の写真2枚

 

  この2枚の写真の参考文献

  白濱南湯崎地区風景計画 昭和24(1949)年3月5日 田中正大卒業論文 白浜町観光課

  この書籍は、白浜町児童図書館に寄付した。