松の湯について

 松の湯の開業年月日について、調査したが記録がありません。

 昭和8年度瀬戸鉛山村勢一覧の二つの表を参照して考えて見ます。

 @、鉱泉湧出数其他  A、鉱泉共浴場浴客人員数

 @の表で11の共同浴場があります。

 Aの表で大正11年度から大正15年度までは村有の天然湧出で数は崎の湯、疝気湯、屋形湯、元湯、浜の湯、鉱湯で6共同浴場です。

 昭和2年度から3年度までは昭和2年開業の稲荷湯で7共同浴場となり、昭和4年度から7年度まで昭和4年開業のみどり湯で8共同浴場となります。

 そして、昭和8年度の松の湯と古賀湯で10共同浴場となり、露天湯は「みのわの湯」は無料ですから数に含まれていないと思っています。

 但し、不老温泉と岩間湯が、これらの数に含まれて、村有の6が4となるとも思っています。

 次に営業舎数について

 村を営業者に数えるとおかしくなります。すると上記の不老温泉と岩間湯が総数に含まれることと、村有は4共同浴場が有料であったことが判ります。

 B、大正11年度から大正13年度までは、白良浜土地建物株式会社

 C、大正14年度から大正15年度までは、上記@と不明

 D、昭和2年度から昭和7年度までは、上記Aと湯崎温泉文里土地株式会社

 まとめて、なお、調査を要します。

  明光バス30年史の記載

  ・大正10年11月土地会社直営旅館白浜館の土工にかかり、大正11年3月4日アメリカ屋西村氏の手で上棟、9月24日竣工開業し、大正14年秋湯川富三郎氏の個人経営にうつすまで直営をつづけた。

  回覧雑誌アカ芋の記載・アカ芋29号 昭和4年9月改訂発行参照

  昭和3年4月21日白良浜の北隅の芝勇別荘の下で、土地会社が「ウントサ」を入れて掘っていたが湧いて一時間百石ばかり湧出で、温度は42度、これがどんどん海へ流れ出すので、此間中、八角網の染料を炊いた大釜に受けて五右ェ門式に入浴していたが、土地会社の古田さんが、そこのみのわの浜の渚へ磯石を利用してセメントで湯壷を掘って一寸崎の湯程の大きさで、湯の中へ磯石を一本立てて男女のへだであるを完成してくれる。

 何しろ目下お辰湯が中止であり、まぶ湯が「ウントサ」中で水のようで入浴できず、今では浜の湯や稲荷湯まで行かねばならぬ所へ此の露天湯が出来たので瀬戸の人達は大助かり、着物をそこらの草の上や石の上にぬいで男女も子供も露天の下で海原を見晴らしながらの混浴で、正にこれ原始時代。

    村の日記の記載

  ・大正14年4月5日、11月20日の両日に、湯の谷温泉湧出

  ・みどり湯は昭和4年5月28日開業

  ・昭和19年1月3日みどり湯から松の湯への送泉鉄管、瀬戸方面全員が勤労奉仕で送泉鉄管の大掃除をやる。

 注、白良浜土地建物株式会社は、大正12年7月21日白浜温泉動車株式会社、昭和7年10月31日白浜温泉土地株式会社と読替えて下さい。