臨海の海軍部隊 
 昭和二十年(一九四五)三月に、海軍防備隊の杉本分遣隊(兵員(七〇名)が臨海方面の警備について、京大臨海実験所に駐屯した。

 主力はサマーハウスに宿営し、少数分隊は田井善九郎邸宅にも宿泊していたという。
 この部隊ほ予科練の少年兵と四〇歳前後の高年齢兵とが混合する部隊で、主として陣地構築にあたり、塔島のもとや臨海浜の西すみの岩石をくりぬいて砲台を築いた。

 そのため、軍秘密の保持から倉の鼻と字白浜の峠、さらに田尻のくずれから臨海寄りは通行禁止となり、字白浜や臨海の畠へ行く人は畑の所有者のみ通行証が渡されていた。

 見張りの兵が字白浜南の岩山と馬目谷の山上に赤旗をもって立ち見張っていた。陣地構築によるハッパがかかるときは赤旗をふり、サイレンをならして危険を知らせていた。
 この部隊の大砲は塔島の岸の壕内と臨海浜西すみの壕内、さらに御船山先端にもあったが、敗戦後米軍によって爆破された。残がいは長らく放置されていたがいつしか姿を消してしまった。

参考文献 町誌

 注、地図は白浜町都市計画図面(作成年不明)の一部です。大字小字などが細かく記載されています。


 「白良浜に米軍が上陸するのではないか」という計画の噂を子供の頃に聞いた記憶があります。私より年配の人にも同じような噂を尋ねると同じような答えがあった。

 臨海の海軍部隊のことについては、一部臨海の崎の浜で掲載して御船山の監視所の場所が不明であったので諦めていたが片田和雄君のご協力よりまとめることが出来た。

 注、赤丸は写真をリンクしています。