崎の湯、伝説の天狗洞 |
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@、判読不能 |
A、参拾五年十一月十一日 本縣伊都郡九度山町 萱野正之助 石井徳三郎 九度山町役場教育委員会調べ 注、萱野と判明した。 2006年4月23日送信されてきたメールより転載 石井徳三郎は私の曽祖父ですが、もう一人は「萱野(かやの)正之助」です。 時代は明治35年、徳三郎の妻と正之助が従兄弟ということで、随分うまのあう二人であ ったようです。萱野家の現当主にも今回の件をお話しました。 添付しました写真のとおり、その屋敷は九度山町の指定文化財です。
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B、判読不能 |
C、判読不能 |
D、紀州 ○○○○ ○○ 酉十月
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E、播州多可郡 ○福 武兵 ○造 文政○ 子二日 注、兵庫県教育委員会電話確認
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F、判読不能 |
G、巌窟○ 有友鶴城 ネット検索 「有友鶴城」。google検索掛けたら「京都市立芸術大学 芸術資料館」の収蔵品の作者としてヒットしました。 卒業作品を収蔵しているリストに作者名として「有友鶴城」があり、作品の制作年は明治34年です。 注、「京都市立芸術大学 芸術資料館」に電話確認
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H、文(寛)政○○ 二月○八日 南洋遊 ○○ 注、文政と推定します。
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I、判読不能(調査未完了なるも判読不能と思われる。) |
J、観音の墨絵
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K、泉州堺住人 今虎
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L、○○月廿七日 大坂 ○○○ 魚問屋 伊丹屋 庄十良 注、魚は旧字体の文字
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注、○は岩が崩落、或いは消えて、判読困難なものです。 |
崎の湯、伝説の天狗洞を調査して 経過 2006年4月12日 瀬田君と二人で、崎の湯、伝説の天狗洞へ、文字を発見した瀬田君、町との調査交渉があって、 2006年4月18日 午前9時30分、事前打合せたとおり、玉田君は梯子など、瀬田君はペットポトルなど用意して集合、梯子を天狗洞にかけて探検開始。 乾燥した岩(文字が見えない)に水を掛けると、墨字が浮かびあがってきます。 なんだ、かんだと云いながらデジカメ撮影したが、肝心のデジカメが電池ぎれ、大まかな写真撮影した。 この日、観音さんの絵が描かれていたのには少々驚かされた。 また、年号で文政と思われる文字にも「ビックリ」した。 夜、デジカメ写真整理して一部印刷した。 2006年4月19日 午前9時30分、同じメンバーで、写真の撮影、観音さんの絵にライトやフラッシュを用いずに撮影。 印刷した文字判読困難や新しい文字の撮影をした。 2006年4月21日 午前9時30分、 洞の略図作成のために簡単な測量をした。 一番困難と思われる文字の判読に取り掛かった。 写真整理と確認電話 2006年4月27日 午後2時30分より、 最終確認の為に同じメンバーで入洞して写真撮影した。 写真整理 まとめ @、年号が文政、約200年前の墨字が現在も洞の中で残っていることに驚かされた。 A、観音図(墨絵)の描かれた年号などは不明です。 B、書かれた文字などの調査のみに止めた。 最後に @、洞の文字は、判読が非常に困難であった。 A、最新のデジタルカメラでマクロ撮影した。 B、長時間洞の中にいると異臭で頭が痛くなった。 |
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