大正15年頃。よく、見てください。女性二人入浴、一人はご案内でしょうか、浴衣姿の男性が一人外で景色を見ています。入浴女性の右側に大きな凹みがあります。また、右側の出っ張りの建物にも浴槽があるように見える。 正面は、海ではなく、コンクリートに石を混ぜた外壁です。

  昭和8年までの崎の湯の浴槽の形の想像

 最初に、参照して下さい。

 崎の湯の天然の浴槽については、不思議に思っていて、一時は、想像で、多分ここは、セメントで埋められたと思って、私なりに了解していた。

 しかし、再度、崎の湯の入浴シーンを最近のコンピュータテクノロジーを使用して、解析をした。

 その結果、以下のことが判明した。

 この映像の略図のをご覧下さい。

 太く黒い線が外壁

 緑の線が建物

 水色が現在の男湯

 凹みから右側の湯壷と思われるに穴で繋がっていると想像した。

 写真からは、このように判断した略図

 

 

 

 

 

 

 茶色の部分は、海からも高く段になっています。されに黒い太い線は、コンクリートに石をいれて、外壁を略図の高い段までしてと思う。海に向ってカタカナのコを90度左に回転したような囲いしていたと想像します。

 それは台風や荒波から崎の湯の建物を守るために造られたと思います。

 さて、浴槽の形の想像ですが、前述したように、不思議であった。

 再度、上の略図を見てください。そして、この写真の拡大部分をご覧下さい。

 凹んでいて、右側に穴で繋がっているように見える

 ここが、大きく凹んでいます。

 ここから、右側の湯壷と思われる部分に繋がっていたと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

、また、その右には、岩の湯壷らしいものがある。

 柱の所、これが、別の湯壷と思われる部分拡大。この部分だけ、増築したように見える。

建物もその湯壷に入浴する人のために、わざわざ、はみざして建てているように も見える。

 ただし、海側はコンクリートで囲っている。

 自然の穴を利用して、元々あった右の浴槽をコンクリートで仕切り、自然に湯が穴を通して給排水するようにして、大小二つあったと見えます。

 このように、想像すると、元は、二つ自然の湯壷があって、今、男湯の湯壷は広く深く、自然の穴で繋がっていた湯壷は小さく浅かったと想像する。

 建物を建てたばかりに、自然災害から建物を守るために、外壁を造り、海側を入口にして、崎の湯の全体が仕切られたのでしょう。

 それでは、建物がない過去にあった崎の湯の私が想像する略図をご覧下さい。

 これは、全く、私の想像図です。潮の干満よって、岩で囲まれたところは、湯壷となったのでしょう。

 略図、如何でしたか。私の感想、絵はうまくなかったですね。

 昭和57年 1月頃の崎の湯の露天風呂をご覧下さい。

 平成12年8月撮影の崎の湯の外観

 平成12年8月撮影の崎の湯の浴槽

 如何でしたか。

 崎の湯の関連の参照は、時代の移り・まとめ・風呂のまとめ・崎の湯をご覧ください。

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