昭和46(1971)年頃 白良浜と防波堤 |
この写真は、「南紀白浜温泉」という絵葉書で、郵便葉書より大き目の絵葉書が入っている包み袋の表面に印刷されていた。 その写真から、湯崎部分(上部)をカットしたものです。 新しいものでは 昭和45年12月26日三段洞窟展望完成の絵葉書があり、絵葉書に印刷されている旅館の開業年月日など調査した、結果、昭和46年頃として掲載した。 絵葉書の場合一枚一枚の撮影年代が異なる場合があり、この絵葉書は昭和30年末から昭和50年頃まで販売されていたと思う。 白良浜の防波堤の完成年月日が写真判定する上で非常に大切なので、真剣に調査したが、関係官庁には記録が消滅していた。 判明したのは、 昭和36年9月16日「第二室戸台風後だろう」と漠然したことだった。 そこで、写真による年代を推測してみょう。 昭和31年4月1日、白浜の公園計画 綜合計画の一環として、町内の緑化を計画。変電所−霊泉橋間にドラセナシュロ百二十本を植え、はまゆう、水仙を白良浜と白良丘外数ヵ所に植える。 昭和32年10月27日憲吉の歌碑除幕 昭和32年建立当時の中村憲吉の碑文と白良浜 この写真には、防波堤が撮影されていません。 昭和37年まで、撮影されている白良浜の写真を確認しましたが、防波堤が撮影されていないと確信します。 昭和37年4月5日娯楽センター完成しています。このときに白良浜に防波堤があったのだろうか。 昭和36年9月16日第二室戸台風 昭和38年の白良浜の防波堤方向への写真がありません。 (追記h/17-11-29) 第二室戸台風の娯楽センターの被害の写真が平成17年10月24日に入手できた。
この写真を見ると下の写真のような防潮堤ではなく囲いをしたいるようなものが見える。 これは波返しがない防波堤と見えるようにも思う。 昭和39年9月8日に撮影された写真には防波堤が撮影されています。 (追記h/17-11-29) 以上のことから、昭和36年9月16日から昭和39年9月8日までに防潮堤は完成していることが確認できた。 情報の提供をお願いします。 撮影年代に拘る理由 下記の本を借りて見たからです。 「 白良浜の海辺過程に関する調査研究 財団法人災害防災協会 昭和57年3月発行」 この本には、16枚の白良浜の写真が資料として掲載され、撮影年代も明記され、これらの写真を基に記述されている部分がありました。 いくつかの写真は、昭和初期ですが、大正末期に撮影年代が記載されていたからです。同じ過ちを繰返さないようにーーー。 この本は大切に保管をお願いしています。 |
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