紀州白良浜温泉場設備大系

林学博士・ドクトル 本多静六氏

大正10年4月5日現場講演筆記

今回林学士永見健一氏と共に入紀以来聴取せし處と今朝来一日の実地視察によりて得たる材料に基いて当地土地径営就中其遊覧的設備都人士招致策としての温泉場竝に海水浴場其他一般設備について最新の理論を考察しつゝ其応用に言及せんとするものである而して其実際計画に就きては之を永見林学士に委嘱し予の校閲を経て他日当事者に送付するであらう。

由来此種の仕事は真理探究を目的とする学問と異なり純粋美的国土創造の芸術と異なり最大多数の現に生活する民衆を対照とするのであるが故に自己の主観に即して直ちに問題の解明に向うは当に誤れる道程である、現にある民衆の「ある儘」の状態を鑑み更に其人間心理の本性を探求し最後に其將に行かんとする道を予察し最後に其行はざるべからざる道を考究し、よって以て之を招致し誘導し娯楽慰安の内に国民趣味の向上と一国文化、衛生、保健の進歩発達を助長せしむるの方針を以て計画の基本方針とする事が必要且正当なのである扨当地全体の造園的計画は自ら分れて下の三つとなる。

一、海水浴場の計画

ニ、温泉場の計画

三、土地経営の計画

 第壱 海水浴場の計画

茲に予は顧みて嘗つて予が計画実施したる遼東半島膠州湾青島に於ける一帯の植林及造園計画の視察記録と其見聞所感とを想起するのである。予が彼地の改造大計画に関与せし事は凡そ前後二回一は即独領時代の事であって予が独逸留学時代彼地の学会に友人知己ありし縁故より招かれて 到り膠州湾背面全体一帯の大植林計画を行ひし事之で有って其ニは爾后日独戦争を経て彼地が日領となるや帝國政府は国際関係上其奮砲台の全部放棄を必要とし陸軍省の招致に応じて再度今や全山緑なる彼地に渡り数ヶ所の奮砲台全部を一大公園系統に改造したる事之である此前後二回の渡航の機に於て仕事の必要上予が視察したる彼地即設海水浴場並に之に関連せる諸設備の大要を茲に述べて以て当事者の参考に資せんとするのである。

一、膠州湾の海水浴場は海岸線(海水浴場設備ある部分)貳百間及至参百間の間であって其海岸には二百三十ヶ所の洋式脱衣場あり何れも皆簡単なるもので其最大なるものは二十坪迄あって之には便所と休憩所とが包含されるのであるが最小は一坪以下で之内から鍵のかゝ開き戸裏に衣服架の金具が打たれてある外に最簡単な腰掛位が有る位で中には夏季使用が終ると取外して倉庫に収められる様になって居るものもある賃貸制度であるが就れも皆大繁盛で冬季早くから申込んで置かないと到底使用出来難い使用期間は夏季三ヶ月間其れで貸料は五円、十円、十五円位の等級制である、之は一度使えば勝手の良いもので日本も追々此種のものを要求する様になるし特に当地の如きは外人の招致策としても是非必要なものであらうと思う。

 次に共同便所之は海岸から離れて之と竝行する防潮兼風致林の森林内の人目に立たぬ立派なのが三ヶ所ある当地では海岸松林えあれを増殖して其中に適当なる處に位置を選ぶべきである。

 次に水被り場で之は四ヶ所あるが当地は二ヶ所位で宜いと思う之も簡単軽快なもので宜しい例えば六角形の板囲で内は所謂 SHAWER BATH SYSTEM (シャワーバース式)で頭の上に水道の龍頭が下がって居て栓をひねると細かい露の雨が上からか ゝる様にするがのが宜い当地では水道が無いからポンプ式で自身でポンプを動かしながら水をかぶる様にするのも簡単な方法である夫から当地は幸い温度の適当な温泉が出て居るから之を揚り水に利用するのも面白い。

 次に海上には浮脚脱 Diving Stand 二個、監視船二艘其他共助投網、浮袋等の設備が有るが当地も此等相当の従属的設備を要する事勿論である。

扨以上に付属して陸上には広壮なる海岸ホテルがある、此は壱千六百人の収容力があるが是亦仲々繁盛で、毎年四月迄に予約しないと其夏はホテルに宿泊出来ない事になる勢ひである。何れ当地も出来るなら一つ立派な簡単で実用的で典雅な気分を失はない洋式ホテルの設備が必要であらうと思う。其位置は大体海岸松林の後方で海岸からは木の間隠れになる位置を選ぶべきである。

 次に音楽堂が三ヶ所あるが之は外国人の羨しい趣味で日本の此處にも追々は建てゝ貰いたいと思う。

 扨下水の開口問題であるが抑も海水浴場は下水開口より隔離して居る事が第一の要件である膠州湾では海に入る直ぐ手前の林で横に折れて流し留め此處で一大風車の力で上方に送って之を半島の背後大洋中に注ぐ設計になって居る誠に巧な設計で為に海水浴場には一点の塵埃もない、加之凡そ海岸ではあらゆる飲食店の出入出張を許さず、極力白砂青松の清浄な感じを保留する事に鋭意力を注いで居る、是でこそ東洋一の海水浴場と云われるので、其点は実に羨望の至りである当地にありても陸地部分一帯の汚水、地下水の排泄口を他に導く工夫をすべきである。

 最後に海水浴場としての必須条件を挙ぐれば、

 一、海岸の適度の遠浅であって凡そ二十間及至五十間迄背が立つ事。

 一、海底が或程度迄細かい砂である事。(石や岩があれば貝類がついて足を害する事)

 一、海岸線に沿うて風致、防潮、緑陰用の樹木がある事。

 一、海岸と樹林との間が細かい白砂で成るべく短き距離なる事。

 一、海上風位の関係。

 一、下水排水口と隔離する事。

 一、陸上に清水湧出する事(上り水に使用の為め)

 等である。

凡そ之等の条件に就いては是を当地につきて考るに下水開口の問題さえ適当に解決出来れば他は殆ど理想的と云って差支えなきことを誓う事が出来る当事者は宜しく海岸松林の増殖と下水問題に留意し燃して諸般の築造物の意匠設計に計策すれば将来の繁栄期して俟つべきである。

 

 第貳 温泉場計画

予の確信によれば凡そ豊富なる温泉は将来国賓となる運命を持って居る。而して当白良浜湧泉は既往穿鑿したものと現に穿鑿しつゝあるものとに就き当事者の言と本日の視察とを合せ考える時は第一海中の噴泉を利用して之を陸上公共大温泉場の根源に使用し他は其温度位置容量等に鑑み適当に海岸天然風呂、上り湯、飲料売買に流用すべきである。其詳細設計は追て本設計の際攻究計画するであらう。

 

 第参 土地径営の計画

土地経営は自ら分かれて住宅地区、貸別荘地区、公共的設備地区(大温泉場、大運動場及事務所、管理小屋等)田園地区(山地及畑)道路並に埠頭となる。茲には唯田園地区道路竝に之に関連する諸般の遊覧的設備の一般的理論及其の応用に言及し、爾余の問題並に其細部の実際は之を本設計の計画図面及其説明に譲るであらう。

 第一 廻遊道路= 凡そ広大なる遊覧地帯には之を縦貫する廻遊道路の選定を第一着とする廻遊道路は土地の広狭環境の状態に応じて之を大廻遊線、中廻遊線、小廻遊線等に分ち残りは自動車道、車道、遊歩道に分つものである燃して之に接続して其緑線に沿うて各地個々の特質に応じ其功利性を利用し其審美性を助長して以て以下説く 處の各設備を考案設計すべきである、而して此廻遊線を如何に選定すべきやは即全体の設計の成行と失敗との分岐点である故之は図面と実際とに就き深重なる審議を要する問題であるから追って本設計に於て詳細図示するであらう。

 第二 展望台一名パノラマ台之は全域中最遠望の眺めを専らにし、而も風光明媚なる地点を選び設立する簡単なる小屋であるが必然自ら全域中最高の地点で附近支障物の無い處を選まるゝ訳である、而して其目的の為に例えば円形或は六角堂様の小屋を設け其天井又は上部小壁の部分に遠望の実際景見取図を描写して其地名及簡単なる説明を附するものである。之が仲々面白い常に素人の喝采を博するものである、例えば伊賀首、井ノ泓等云う所は最も此目的に協う様に見える、予は之より身たる眺めに紀松島の名を献じたいと思う。

 第三 は全山に亘って観賞植物の自生せるもの又は其の然るべき地点を探究して以て或は之を技術に依て一方的に生育助長し或は全然人為に依て新植して各種の観賞植物花卉類の名所を作る事が肝要である、而して之は出来るだれ四季に亘って年中名所の時季の絶えぬ様にするのが予の理想である。例えば本地域では山桜、ツツジ、ハギ、ハゼ、ヤマウルシ、ヤマブキ、椿、山茶花等各種の名称地域が出来よう。

 第四 果樹園、花卉園及水池、動物園特に実用動物園の設備である、之に就ては本地域の如き例えば蜜柑、桃、批杷、葡萄等は山地の中腹等で他の利用困難な場所等では自ら経済的の経営も出来ようし、又然らざる所も都人士の眼と心とを喜ばせ楽しませ小児婦人の実物教育の一端にすると同時に金もうけにもなる處の休憩所兼用の集約的な園芸的果樹園と 農業動物園(普通の農用家畜を飼う)(例えばウシ、ヤギ、ニワトリ、アヒル、ウサギ等)を作り茶店、売店で其新鮮な蜜柑、桃、批杷、葡萄や鶏卵や牛乳等を売る様にすると面白いし随分之が特に小児 や婦人の好奇心の対象になって土地が繁盛する場合に依っては売る品物は他から輸入しーー看板の果樹と家畜は必ず置くべきであると予は思う斯くすると茶店、売店の店主は初め会社の保護を要したものが後には附近の土地管理の職責を無代て果して呉れて猶争って其位置を願う様になる事請合である。

 第五 天然植物園、水族館、教育動物園の設備である、此の内後の二つは経費の都合で有るも宜し無きも可であるーー天然植物園は権現山に見事な原生林(一名處女林)あるを利用し、必ず第一着に設備すべきである、凡そ原生林の学術的価値については権現山に於て講演したる通り今日最貴重なるものであって特に又一面之が都人士の博物教育に最も効果あり、所謂趣味と実益とを兼ねたるものである故に遊覧的招致策としても金がかゝらずに効果多き此の設備を必ず第一着になすべきことを切にお奨めする次第である。但し人が無暗に立入って荒すと漸次其特質を減じて来る故先づ一定の廻遊的歩道を定めて之を完全に改修し場合に依っては其両側に簡単なる木柵(其の材料には各種の天然樹木と同種の材に防腐剤を注入したるものを他より輸入す)を備え且此處にては絶対に飲食、喫煙を禁じ落葉は其儘放置して一切採取せず、而して其樹木には各種名、英名、漢名扜に羅典名等を附し場合によっては其喬大なるものには胸高(地上一、三米突)或は目通り周囲及び樹高、見積樹齢及之に関連せる小言葉を又其特種なるものにつきては其由来、伝説、性質等を子供にも分る様に平易な趣味ある言文一致体の文章で大きく記入すべきである。

 第六 は天然魚釣場の設備である海岸に生簀の様なものを作って釣魚に経験のない都会の婦人、小児にでも容易に釣魚の初歩を楽しめる様にする当地等の様に天然の岩礁で海岸線の出入せる箇所ある地点では適当の所を選ぶと其岩礁を利用して面白く天然の生簀が出来る之が外国の海岸遊覧場には到る處にある之を是非備え付たい、次第によっては彼の畠島え比較的大規模の設備も容易に出来るであらう。

 第七 道路並木 近世都市に於ける道路並木は都市装飾扜に市民衛生保健上必須の要件である、況んや田園都市遊覧地域に於けるそれは不可避的の設備である当事者は須く中央自動車乃至廻遊歩道、必要箇所に於ける両側或は片側に適当なる並木を植栽するに要用なる出費に吝ならざらん事を望むのである。

 第八 大運動場の設備 之亦遊覧地帯に付随せる正当なる問題である、其位置は大体海岸松林の背後北端の平坦なる空地を以て適当なりと考え、斯くて自ら此處に彼公共大温泉場と洋式ホテル(己むなければ和式ホテル)が関連して一の洋式建築群が組成せらるゝ事となり、其表現の審美的効果の程度は必然或程度迄全域の美的感情を左右するもの故其設計は最慎重なる留意を要するであらう。

 第九 大公共温泉場の内部には出来るならば室内大遊泳場の設備が欲しいのである。之は欧州文明諸国の公共温泉場には必ずあるものであって将来来るべき文化の波に育てらるゝ若い都人士並に外国人を招致するには是非無くて協はぬ設備の一である遊泳場即 Swimming Bach の直訳であって必ずしも遊泳其ものが目的でない。例えば湯ヶ原千人風呂のあの感じである之を是非設備したい其詳細は多くの書物にも出て居るし、予の本設計にも或は便宜説明して宜しいのである。大きさは長最小限度二十間幅四十尺内外水深男子部三尺五寸乃至七尺八寸女子部三尺乃至六尺の緩勾配を附くる事。

 第十 名物、土産の選定創製である。 之は遊覧客が土地を離れるに際し最後の旅情を豊満にし兼ねて有利なる広告にもなるのであって是非無くならぬものである。然らば出来る丈土地の特質に因み土地の特質を本に周知せしむる物たるべきを要する携帯に便に簡単なもので一寸した創意が意外にに名声を博する例は多い仲々馬鹿にならぬ問題である。

 第十一 遊覧地案内記につきての注意である、凡そ日本の案内記なるものは古文書より土地に因める詩歌、伝説の類を無味乾燥な羅列に大部分を埋めて肝心の現実の案内は不親切を極めて居るのであるが、予は之を欧米各国の夫れの実用的にして而も旅客の旅情をそゝる感じに豊満なるに比し常に遥に劣等なるを遺憾に思う次第である。而して其必須的記事として各種旅館、飲食店の実際費用概算、附近名勝遊覧小旅行に用いる旅費概算及附近主なる大都会交通中心地に至る時間、日数、旅費概算等を記入し之を日皈り遊覧客、一日泊り、ニ日泊り、三日泊り、一週間泊り、一ヶ月泊り等の予定日数に応じて夫々の遊覧日程と其費用概算を記入せば更に妙である。此記事を是非作成して貰いたい、而して遊覧交通系と各種観覧、娯楽設備の入場料賃貸料を包含せる割引連絡廻遊券乃至期間制バスを発行して旅客の滞在日数を自ら引留むる工夫あるは更に妙である。

 第十二 最後に是等の諸設備を実施し其管理を顧慮し指導し監督して以て土地の繁栄を永久に計り当事者守成の業を確固たる基礎の上に置かんには断然保勝会の設立を要望するのである。之には例えば仕事の要職にある当事者と土地の有力者との総てを網羅して以て直接間接当該事業に利害関係ある各人士全体が一致協力して事業の発展を期する様初めてより企画すべきである。終わりに臨んで本事業が永久に成功するや否やの鍵が域内勝景の地を単なる金銭にて単なる個人に売却するや否やにあるを一言断じて本講演を終らんとす。

(大正11年四月白良浜土地建物株式会社第三回業務報告書附録)

注、林学博士・ドクトル 本多静六氏、町誌本編下巻一には本多精一博士とあります。

注、大正8年5月11日、資本金50万円の白良浜土地建物株式会社が設立された。