上の地図の赤番号を下に表示しています。

 @、霊泉橋                                                                         2002/04/13photo

 A、立ヶ谷の海山橋よりj満潮時(回答の場所)                               2002/04/13photo

 B、霊泉橋                                      2002/04/02photo

 霊泉橋

 大正15(1926)年9月5日白良浜土地建物株式会社と漁業組合で漁業権の話合いがつき(大正14年1月)寒サ浦と立ち谷入江の出入口に直線の橋をつけることになり、幅員6米で石垣積の土橋架設工事にかかり、本日竣工これで寒サ浦から深い入江の立 ヶ谷を迂回することなく便利になる。

 橋の名称募集の結果、綱不知真鍋繁次郎氏の霊泉橋が当選、賞金5円。

 白浜の名所となる。昭和8年 頃(1933)の写真

 明治44年の地図を使用。上記のように大正末期までは@〜A〜Bと又逆の順に往来されていました。現在もこの歴史の道は残っています。「太刀ヶ谷神社」に参拝し、「太刀ヶ谷のやまもも」の事を思い浮かべながら、ゆっくり歩くと神秘的で 、自然が残っていて、中々の所です。写真はA(海山橋)の所で撮影しました。

現在の地図でのまとめ