昭和4(1929)年頃 番所山海岸(あわ湊)附近から湯崎

 説明

 難しい写真で撮影場所が判明するまでは、他地域の写真と思っていました。

 原版写真を24000ピクセルに拡大、湯崎海岸であることが判明し、撮影場所を確認した。

 年代について

 一、昭和10年5月27日湯崎トンネルが開通していません。

 二、昭和初期の湯崎館が見えます。

 三、昭和6年9月25日浜の湯新築再開が見えません。

 坂田鼻から立ヶ谷方面に向かって撮影されていると思っています。

 富田方面の写真かと思って撮影場所を何日もアチラ、コチラと捜し求めてたどり着いたのが坂田鼻でした。ここも埋立てられていて山並で想像するのと、山肌が削られて一部開発の跡が撮影されています。霊泉橋の架橋 工事によるものと思っています。

 撮影年代は大正年間から昭和9年頃までと思われますが何年頃と確定できません。

 写真について

 撮影場所は坂田の犬戻り手前方面から番所山方面に向かって撮影されています。

 前の半島は江津良の半島で、次が田尻の半島。手前が江津良湾と思っています。

 この撮影場所ついて、何日もかけてよく似た場所を探索した結果です。

 昭和10年11月30日臨海裏海岸道路竣成 までの江津良の写真です。

 解説

 この写真を見たときは、藤島か田辺あたりが撮影場所と思いましたが坂田鼻で写真のような景色とはなりません。次から、次へと撮影場所を探してやっとこの場所坂田犬戻り手前の上から撮影されているだろうと思いました。塔島が撮影されていないと他の町村の写真と思ったでしょう。

 白良浜。大正11年8月18日開業の白浜館が撮影されています。写真右下附近に道が撮影されていますが、現在の軽自動車がやっと通行できそうな車道らしい道幅があります。

 昭和4年5月までの写真と思われますが、明治後期として掲載しても良いような風景です。

 少し、推論となりますが、写真を撮影する目的を考えてると

 一、天皇行幸の絵葉書作成、二、丸山など埋立開発、三、古賀浦開発、 四、大浦開発の為に撮影されたかです。この写真からは開発されたと思われる所はありません。 又、昭和4年6月1日天皇行幸の記念絵葉書などの撮影の可能性も考えられるが、「1912(大正1)年9月27日、真珠養殖始まる」の映像が丸山に確認できません。

 撮影年代は、大正時代以前と考えられ、明治時代と思われる写真は撮影年代判定はできませんので 明治時代として、明治35年に掲載した。

 この5枚の写真、一つ一つ撮影年代を試行錯誤しました。写真の保存状態や帆船が撮影されていることの共通点があることに気づきました。

 建物が撮影されているのが白良浜から湯崎海岸方面で、湯崎の海岸を最大拡大して判断したのが、昭和4年5月前後と判断しました。他の写真から撮影年代は不可能です。

 又、この五枚の写真が一組であるか疑問ですが、前記の保存状態や帆船などから一組の写真と判断しました。

 しかし、この風景写真の撮影目的です。多くのパンフレットを見てきましたが、このような風景写真は初めてで撮影目的も判断できません。 当時としては帆船を浮かべてかなり大掛な撮影であり、何か目的があったに違いないと思っています。

 私、思うに大正11年頃から昭和4年頃とは思っていますが確信できません。

 注、個々の写真には、説明をしていますが、個々の写真で撮影年代を考察したときの記述で一組の写真として記述したものではありません。

 新資料が出てくるまで、暫く、撮影年代不明で掲載しておきます。