祇園南海の「瀬戸に遊ぶ」詩 その詩句の校定と訳注

                                   白浜町 久保 卓哉

  遊灘渡  

          享保十八年孟夏下 本府文學祗洹源瑜伯玉題并書

                熊野雑誌「年」「下」雑賀椿の葉巻「伯玉題」

乾没坤開八百洲

先朝遊豫有仙丘

石門一穴斷還續

唐嶼三窓凝              雑賀文芸編、椿の葉巻「凝流」

境似桃源犬疑客

浪通蓬嶋鶴隨              雑賀文芸編昭和9」(雑賀椿の葉巻昭和13「舟」)

橈容與看不盡              雑賀文芸編、椿の葉巻「蘭撓客與」

安得丹青付虎頭

 ○韻字 洲・丘・流・舟・頭(下平声尤・候韻)


  【文字の異同】

 参考文献
『熊野雑誌』目良碧斎著、編輯兼出版人目良碧斎(田辺)、発売所古矢善右衛門(田辺栄町)、印刷者山上貞次郎(大阪)、明治廿一年三月三日刻成出版
『白浜湯崎温泉叢書 文藝篇』雑賀貞次郎著、紀南の温泉社、昭和九年五月二十日発行 
『南紀雑筆 椿の葉巻』雑賀貞次郎著、紀南の温泉社、昭和十三年五月十九日発行 
『白浜町誌 資料編』白浜町誌編纂委員会編、白浜町、一九八〇年出版
 上の四件を参照したところ
 詩の本文は『熊野雑誌』と『白浜町誌』が正しく、雑賀貞次郎の二著には誤りと思われる漢字が四文字ありました。上の赤色文字が異同箇所です。
 詩題の下注は『熊野雑誌』の「八年」「下院」は誤りで「十八年」「下浣」が正しく、雑賀貞次郎『椿の葉』の「伯玉文題」は、『熊野雑誌』『白浜町誌』の「伯玉父題」の方がよいように思います(未確定)

 この漢詩から推量するに、祇園南海には塔島、臨海浦の景色を小舟、鶴、とともに描いた絵があったと思われます。

【語注(詩題)】
灘渡=灘は、水流が急な「はやせ」「せ」の意。灘渡は、セトと読み、現在の瀬戸をさすと思われる。

   仁井田好古編『紀伊続風土記』はセトを「迫門」とも表記したと記す。「其地形、古海湾の北の端、

   中間南北に切れて島ありて別に迫門セトをなせり(島は即今の遠見番所及御殿跡の地なり)。

   海潮退きて迫門陸となり、島と一となる。人民始めて此地に村居をなしてより、迫門の名、

   此地の大名となり、文字を瀬戸と改む。」(巻之七十一牟婁郡三瀬戸村)
   祇園南海の「鉛山紀行」に「遊灘渡。渡在鉛山東北二里。歩踰一丘、便是沙頭。所謂七境銀沙歩是

   也」「灘渡に遊ぶ。渡(セト)は鉛山(湯崎)の東北二里に在り。歩いて一丘を踰えれば便ち是れ沙

   頭(砂の付近)。所謂(いわゆる)七境の銀沙歩(白良浜)是れなり」とある

  (『南海先生文集』巻之五)

  (『詩集日本漢詩』第一巻、富士川英郎、松下忠、佐野正巳編、汲古書院刊)。

【語注(題下注)】
享保十八年=一七三三年。祇園南海五十七歳
孟夏=旧暦四月
下浣=下旬 享保十八年孟夏下浣は、一七三三年四月十九日から二十九日の間。祇園南海の「鉛山紀行」に

   「壬申快晴遊灘渡」壬申の日に灘渡に遊んだとある。壬申の日は、四月二十一日。

   新暦では六月三日にあたる。詩題の注に「下浣」と記していることからすると、

   この詩は壬申の日より何日か後に作られたと考えられる。
本府=幕府
祗洹=洹の音はオン。祇園と同じ
源瑜=祇園南海の字。阮瑜ともいう。
伯玉=祇園南海の字。
父=年輩の男
題并書=詩題をつけて書きしるしたことをいう。

【語注(詩)】
乾坤=天と地。ここでは天と海をいう。
八百洲=今の江津良、臨海、瀬戸及び田辺湾の島々をさす。「鉛山紀行」に「邨東曰江面、又曰畫面、

    又称江津良、其前渡謂之八百八洲」「村の東を江面(えづら)、又画面(えづら)、又江津良と称

    す。その前の渡(セト)はこれを八百八洲と謂う」とある。
先朝=先代の藩主。紀州藩初代藩主徳川頼宣のこと。児玉荘左衛門著『紀南郷導記』に「先君頼宣卿」

   とあり、徳川頼宣を先君と称している。堀内信編『南紀徳川史』(昭和五年刊)巻之四によると、

   南竜公(徳川頼宣の諡号=死後のおくりな)は幾度も湯崎温泉に湯治に来ている。

  「寛文二年壬寅(一六六二年)(公六十一歳)三月、浴於湯崎温泉、三月十八日頼純主御同伴にて田辺

   へ御湯治、六月復浴於湯崎温泉」。祇園南海は「鉛山紀行」で「一名唐嶼、隔嶼東岸石門桓立、

   上有先朝別館、今已廃矣」と「一名を唐嶼(とうしま)という。嶼(しま)の東岸を隔てて、

   石の門、桓(はしら)のごとく立つ。上に先朝の別館有りしも、今は已(すで)に廃れり」と

   記している。
遊豫=遊び楽しむ
有仙丘=有仙の丘。神仙が住む丘。
唐嶼=嶼は小さい島の意。トウシマと読む。塔島のこと。
桃源=桃源郷 そこでは花が咲き乱れ犬や鶏がのんびりと鳴き、人々は楽しそうにゆったりとしている
蓬嶋=蓬莱。神仙が住むという伝説上の山、渤海にあるという。
蘭橈=蘭の樹でできた船のかじ。ランジョウ  
容與=波にゆられるさま。ゆったりとしたさま。
丹青=赤色青色の顔料。
虎頭=中国の東晋時代の画家、顧ト之の幼名。顧虎頭とも称され、その「女史箴図」

   「洛神賦図」は名高い。
付=与える たのむ

【訓読】
  灘渡(せと)に遊ぶ
乾没し坤開く 八百洲 けんぼっしこんひらく 八百しゅう
先朝 遊豫す 有仙の丘 せんちょうゆうよす ゆうせんのおか
石門の一穴 斷ちて還た續き せきもんのいっけつ たちてまたつづき
唐嶼の三窓 凝して流れず とうしまのさんそう ぎょうしてながれず
境は桃源に似て 犬客を疑い きょうはとうげんににて いぬきゃくをうたがい
浪は蓬嶋に通じ 鶴舟に隨う なみはほうとうにつうじ つるふねにしたがう
蘭橈 容與として 看るも盡きず らんじょう ようよとして みるもつきず
安くにか丹青を得て 虎頭に付(たの)まん
                 いずくにかたんせいをえて ことうにたのまん

【訳】
日が沈み大海が開けるこの八百の島々
徳川の先君もこの仙境の丘に遊んだことがあった
臨海の門のような巨石にあいた一つの穴は 動くにつれて切れてはまた続いているように見えるが
門のような巨石に穴が一つありその穴はとぎれてまた続いているように見え
塔島にある三つの窓は固くかたまって動かない
ここはまるで桃源郷のよう 犬も訪れた客を嗅ぎ
寄せる波は神仙が住む蓬莱とつながり 鶴が小舟について飛んでくる
ゆらゆらと揺れる舟から見る景色は見ても見尽くせないほど
どこかで絵の具を求めてこの美しい景色をあの顧ト之に画いてもらおう

 注、文中末尾にあった塔島の写真は、省略した。