昔の土産店と湯崎温泉

 文字は崎の湯、時雨松、摩撫湯(これは、書き間違いで 屋形湯)、牛嶋(うじま)、濱の湯、湯崎土産貝細工店玄関(現在の湯崎トンネル上の道)、この店は大正末期まで土産貝細工店を営んでいた神崎屋と思います。縮小版でなく拡大版お見せしたい感じの風景ですね。  (西国名所図会)

  時雨松の言伝え  明治生まれのお婆さんからよく聞いた話。

 「あの時雨松、写真にとっておいたらと思う」と、実はこの松、別名「別れの松」と言われ、崎の湯の手前に大木であったそうな、紀南巡遊遍道でも紹介しましたが、切立つ山、岩壁で平地がなく、農業も狭い農地では年間食べるだけできなく、漁業中心で合間に旅篭や貸間で生活は大変厳しいものだったそうです。

 それで外国へ出稼ぎに行ったそうな、当時は帆船で、生死の大問題出稼ぎに行く日は「水酒付」で湯崎で一番先の崎の湯の手前の時雨松のところで泣いて帆船が沖に姿が見えなくなるまで見送っていたそうです。

 それで「別れの松」と呼ばれ明治生まれのお婆さん達は、後生に伝えるために写真撮影しておきたかったのでしょう。 当時の生活が想像できますね。