安宅一乱記より抜粋して当時の港調べ |
安宅一乱記は原本に年代の記載がないのでしょう。年代の記載のあるもの、ないものが混在していますので、安宅一族の記録より室町時代、戦国時代中頃 {元和元年(1615)}までの約200年間の時代として記載します。 一、巻之一目録 袋ノ湊軍之事附り中村富蔵討死之事 (略)、兵粮数多取集メ、袋の港より兵船数艇に積入、宿浦より勝山へ下ら んと、(略)。 注、袋は富田袋、宿浦は田辺市神子浜一帯 二、 巻之三目録 土井が城洛城之事 (略)、霜月富田郷を越、(略)、(略)、袋の湊より勝山に廻し、人々皆田野 井帰て、(略)。 三、 巻之三目録 周参見軍之事 (略)、兵船数多に打乗、周参見の湊へ漕寄たり、(略)。 四、 巻之九目録 三好長慶紀州へ渡ル事 享禄四(1531)年正月十日、四国の三好長基の男三好筑前守長慶五百余騎にて兵粮・物の具等に至迄数多船に積入安宅の城に入らんと、(略)、日置の湊に入としかけるが、(略)。 一から四について 私こと思う 富田平野から兵粮を集め、富田袋の港から積出していること、「安宅一乱 記と熊野三山」の記述で熊野三山には江住の港を利用している。 又、「宿浦で兵船を整え」と田辺市神子浜一帯が重要港である記述があり ます。上記四の四国からの記載以外に「米船」と記述あり、四国から米を 運んでいることが記述されています。 |