安宅一乱記より抜粋して当時の安宅一族の城

 巻之八目録 阿州之一族渡ル事

  (略)、北に当て八幡山井田井、安居の城、

     東に岩津、周参見に藤原・中山・駒詰・立野・八幡の要害、

     西にハ大野、南に勝山杯と斯四方に要害を構へ、

     其中に本城を築キ、

 扨又、

     富田、日高迄に味方の城八ケ城有て鹿ケ瀬・由良坂を堅メたり、

 下モハ

     天満八幡山の城に実方院の人々奥熊野の要害を示さんが為数百

 騎にて堅メたり、

 猶又

     阿波の本城井一族或ハ八士の城ハ数多シと申セども、

 (略)。

 注、鹿ケ瀬、有田郡と日高郡の境・由良坂、日高郡由良町


 富田、日高迄に味方の城八ケ城の白浜町内の判明している城について

   富田高瀬の馬谷城、JR白浜駅裏

 注、実方院 熊野三山の一つ那智山にある別当家。累代継承の寺院

   同家(姓。米良または目良)の租実方中将の取り名付ける。

 注、天満八幡山の城とは那智勝浦町天満の参上に築かれた那智実方院

   代々の持城

 注、実方院 十報院とも書くが、本来、歌人として名の高い藤原実方の名

   を取り付けられた。これは熊野三山別当第十代を実方の子泰救(たい

       ぐう)が継いだことによる。

 注、安宅大炊卿之奥方は那智実方院の娘で、安宅大炊に嫁にきた人。