銀砂湯について

@、明治32年中瀬戸の芝田与七(そのころ新太郎という)が白良浜の鳥岩のところにガスの出ているを知り、官地使用の許可を受け田辺の医師榎本貞雄と共同出資で温泉試掘を行うが、<略>。何分海中のこととて潮の干満、波の動揺あり作業進まず満潮時水深6尺のところにて12尺を掘りて止めたるも、その12尺のとこるにて約62.3度(摂氏)の温泉が一昼夜500石程度湧出することを推定しえたという。

A、銀砂湯、大正8年試錐、大正11年2月24日湧出。

B、大正11年2月24日白浜温泉土地が、あらかじめ、海底から温泉の湧き出ていた所を、深さ25尺掘り、岩盤に達し、口径3寸の鉄管を挿入し、2馬力の電動機で引上げて湯をタンクに導き、これを浴槽に送っている。

C、昭和4年1月24日増掘湧出。

D、昭和8年3月頃の瀬戸鉛山村役場パンフレットに噴出の高さ9メートル、海中放流と記載、写真があります。

E、昭和10年の瀬戸鉛山村勢一覧には銀砂湯の記載あります。

F、白浜・湯崎各温泉現況の各温泉井現状調査 昭和16年7月には各温泉井名が記載されていますが、銀砂湯は記載がありません。