湯崎の御書御祭

  鉛山温泉(湯崎)にて昔から毎年秋御書御祭というを行う。これは神社の例祭にあらず、所の世話役(今は部長という)が保存する古文書の記念祭というべき特殊の祭なり、其文章は秘密とされ人に示さぬが、紀州公から温泉地の租税御免の文書で御祭はその記念、謝恩の行事であるもののようである。

  この祭はその文書入の箱を奉じたる数名の行列で「死残りの三匹、下に下に」と呼びつつ世話役の宅から神社に赴き、神職の祝詞などあって式を終えるもので甚だ簡単である。

  「死残りの三匹」というのは昔鉛山鉱山爆発して坑夫多く死し僅かに三人生き残ったもので、その三人に対して免租あったのでないかという。

参考文献、爈邊叢書・牟婁口碑集・雑賀貞次郎著・昭和26年6月1日発行

  11月2日は湯崎の「山神社」の祭礼日で、「御書祭」もいっしょに執り行われているが、昔は山神社の祭礼は9月11日に、「御書祭」は11月3日にそれぞれ行われていたのであるが、現在は山神社の秋祭りの当日にお祭が行われている。この日の祭礼は盛大で江戸時代初期に湯崎に産する鉛の採鉱を奨励し、その成果を期するため初代紀州藩主 頼宣は、田畑の年貢を免除する「お墨付」を出した。免税の「お墨付」は徳川2百数十年間変わることなく有効であった。

  湯崎の人々はこの恩恵を感謝し、「お墨付」をご神体としてあがめ「お墨付」を行ってきたのである。

  参考文献、白浜町誌本編下巻一