津波警告板
宝永4年(1707)丁亥歳夏六月大きさ一寸から一寸余の害虫が無数に発生して稲を食い荒らし、農民は大変憂慮したが、翌月になると退散した。同年冬十月四日(陽暦十月二十八日)午の刻(正午ごろ)大地震が起こり、ゆれること一時間ばかり、大地山河破裂し民家人家が倒壊破損した。その物凄さは天柱が折れ地軸がくだけるようで、老若男女は天地が傾覆するかと思い、精神が迷乱して死生を知る者は一人も無い。そのような時に海上にわかに鳴りどよめいて白浪が天をつく勢いで山を崩し地をうがった。このような時に人々は地震津波の襲来を聞いて驚き騒ぎ、気も魂も身にそわず、はだしで直ちに小倉山、飛鳥山に逃げ登り身命を全うし、あるいは途中で大波にただよい流され半死半生で山に着き、幸いにして死を免れる者、あるいは家財に心を寄せ家を出ることおくれ濁浪に溺れ没する者百数十人を出した。富田のうち、高瀬、芝、伊勢谷、溝端、高井、吉田、中村、西野(才野)は一軒も残らず流出して忽ちにして野原となった。鳴呼、前業のためであるのか、それともまた天運のためか、天災とはいいながら前代未聞の珍事である。後代もし大地震があったら必ず津波高潮が来襲するものと知り、早く覚悟して油断をしてはならない。後人の警めするため地震津波の状況を記しておくものである。(要約文)
宝永四年十月日記し了る也。
右飛鳥宮の裡に納め置く。毎歳祭礼の節村中見聞すべし。

県指定 有形民俗文化財

和歌山県西牟婁郡白浜町十九渕一一七七番地 日神社社務所内

明治四十二年(1909)十月、神社合祀の際に日神社に移管されたものと思われる。
注、原文は町誌資料編を参照

                                               参考文献 町誌本編下巻二

 注、富田のうち、高瀬、芝、伊勢谷、溝端、高井、吉田、中村、西野(才野)の略図

 注、伊勢谷は日神社附近

                                     参考文献 椿温泉郷 昭和40年11月6日発行