紀南第一勝 辛亥三月熊野記行之一節、即寛政三年介石四十五歳之春。

    野呂介石      注、紀南第一勝は熊野記行の文中の一節

 十六日南部浜より鉛山へ、右鹿島、左に目良牛鼻、南部崎から湯崎まで三里で、この所は田城浦上(田辺)湾の中で、小大島などがあって、その光景は紀南第一勝である。鷹尾山(高尾山)と潮見峰(潮見峠)は田城(田辺)の北、富田坂と仏坂は江面(江津良)の南に隠れているが、綱不知の後、遥か東北に眺め、唐嶋(塔島)と瀬戸崎・鷹嶋{高島(円月島)}を経て、左瀬戸浦(瀬戸)と白沙浦(白良浜)で鉛山 浦(湯崎)に着き、往年しばしばこの所の風呂に入浴していたので、景色はすでに絵を書いていたので、景色の絵を描かずに森氏{森三太夫(現湯崎館)}に宿泊する。

 十七日入浴、午後より薬王堂を詣で、燈籠樓(灯明楼)から千畳岩(千畳敷)。


 注、原文は、漢文による紀行文てすが、解らない部分は省略して、私なりに 大体の意味を記した。部分的には間違っているかも知れません。

 瀬戸鉛山の絵図(一部)白浜民族資料館蔵

  注、@、寛政三年三月は1791年3月

    A、野呂介石 1791年3月16日鉛山に遊ぶ(町誌下巻一資料編・年表)