天皇陛下行幸

  関西行幸の途次、当瀬戸鉛山村に行幸遊ばされることになり、この朝七時四十分供奉艦「那智」「灘風」を従えた御召艦「長門」は既に昨日よりお待ち申し上げた軍艦「大井」以下諸艦艇の登舷礼をうけ、皇礼砲 殷殷たる中を田辺湾内丸山の鼻沖一浬に投錨。

  陛下には供奉の諸員を従えられて、艦載水雷挺に移乗され、九時三十分綱不知桟橋に御上陸、ここより牧野官内大臣、鈴木侍従長、奈良武官長外の諸官ら奉供し、二十一町の御道程瀬戸臨海研究所に向わせられ、沿道の所定の奉拝所には昨夜来近郷近在から集りたる約五万の奉拝者が午前八時頃から降り出した雨の中に、身じろぎもせず 跪座奉拝するに、陛下には海軍様式の軍装にマントを召されたるのみにて雨中をもいとわせられず、一々御会釈を賜りつつ玉歩を運ばせられて、臨海研究所にお着きになられ、十時十分御便殿に入らせられる。

  陛下には、御小憩後、石川京大教授ら五氏からそれぞれ専門研究分野の御進講を御聴取あり。実験室で県の物産を天覧あらせられ、次いで水漕室で百種にも及ぶ近海の魚貝類の生態を御興深く御観察遊ばされる。

  御便殿にて御昼餐を召されたる後、一時十五分研究所南崎の浜の桟橋から新造の御座船に御乗り遊ばされ、海士船を後に従えられ、「大井」の艦載水雷艇に引かせて御出発。円月島前から右へ迂廻し附近の絶景を御賞覧あらせられる、間もなく四双島東に御着。海士たちは素早く黒の海水浴着になって、駒井博士の合図に従って潜水、陛下には箱眼鏡で海士の活動を凝視あらせられたが、間もなく二人の海士は、ウミトサカ、イポヤギ、イソバナなどの岩棲生物を手に掴んで浮びあがり、獲物を差上げると、陛下には御手づから採集用具を御取りになり、仔細にそれらの生物をお調べになる等、畏れ多い極みである。

  三十分にして更に塔島の岩礁附近でも三十分間同様の御採取を続けられ、午後三時再び汽挺に曳かせ給うて、田辺湾内奥深き神島に向わせられ、雨中の森にて田辺出身の粘菌学者南方熊楠氏の案内により粘菌をお探しになり、同四時頃畠島に渡らせられ、西側海 岸の岩礁にある太古の浪の痕、漣痕を御覧になり、更に御膝まで水中に入らせ給いて砂泥中に生凄する奇虫ギポシ虫を御採集になり、五時半御恙無く御召艦「長門」に御帰艦になられ、お疲れをお体めになるお暇もなく南方熊楠氏を召されて砧菌類について約三十分、御進講を御聴取り遊ばされた。

  御召艦「長門」は六時すぎ錨をあげ供奉艦艇十隻近い艨艟を従えて、舳艫串本に向わせ給う。

  村民一同、江津良浜や田尻浜に出て、陛下の御安泰を念じ御見送り申し上げた。

  千二百七十年もの昔、斉明、天智、持続の諸帝をこの地にお迎えして以来の慶事であり、我ら村人のこの歓喜は子子孫孫に伝え残すべきである。