昭和34(1959)年〜昭和40(1965)年 注、一、見出し欄の空白は、追加した記録。 二、内容欄の注は私の備忘記録。 三、昭和63年迄、上記に同じ。 |
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月 | 日 |
見 出 し |
内 容 |
7 | 7 | ロープウェー・ナイター営業開始 | |
15 |
紀勢本線の全通なる |
注、七月一五日 |
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9 | 26 | 伊勢湾台風襲来 | |
10 | 1 | なると丸就航 | 南海汽船では白浜航路開設を計画し、なると丸を10月一週から神戸〜白浜間に就航させる |
昭和35年 1960年 |
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1 | 25 | 飛行艇就航する | 日東では、八人乗り水上機にかわって、グラマン飛行艇(11人乗り)が就航。桟橋出発、正午十四時、十五三十分。 |
2 | 1 | 暴力団に自警パトロール | 暴力団が大阪より来て、観光客とのトラブルが続発するため、白浜防災自治会では今日から消防団員が中心となってパトロール開始 |
13 | ロープウェー払下げに決定 | 町議会全員協議会では、ロープウェーの民間払下げを決定した。 | |
13 | 暴力団に自警団を結成 | 町議会では暴力団対策として、@自警団結成A二十三時サイレン吹鳴B二十三時全商店閉店を承認し、町民に協力をよびかける。 | |
15 | 白浜製塩業務停止 | 政府の塩業整備計画にそい、十五日正午で十五年間にわたる製塩業務を停止した。 | |
3 | 23 | ロープウェー南海に払下げ | 町営ロープウェーを一億五〇〇〇万で南海電鉄に売却することに決定した。二月二六日本契約し、四月より南海電鉄が経営する。 |
4 | 1 | 火雨塚発掘 | 田辺文化財調査会で石室をを調査した。内部は江戸時代に発掘されたもよう。 |
30 | 旅館組合事務所起工式 注、御幸通り | ||
5 | 22 | 第五回全国選抜大学実業団 | 対抗相撲大会が熊野三所神社で行われた。 |
24 | チリ津波 | 午前四時すきより数回の津波あり、三・四回目が一番大きく東白浜地区に浸水する。 | |
8 | 1 | 町制施行二十周年記念式典 | 三間記念行事が行われた。 |
4 | 魚介鳥獣草根供養はじめる。 | ||
26 | 白浜町商工会創立総会 | 白浜観光会館で開催された。会長米田内匠。 | |
11 | 29 | 旅館組合事務所完成 | 御幸通りに一五〇〇万円で事務所完成、鉄筋三階建て延べ一四五坪。注、竣工式も行われた。 注、御幸通り |
昭和36年 1961年 | |||
3 | 31 | 国鉄「南紀観光号」処女運転 | |
8 | 8 | ミス白浜表彰 | |
11 | コロンビアの夕 | ||
9 | 16 |
第二 室戸台風来襲 |
超大型台風一八号で白浜は大きな被害を受ける。瞬間風速六五メートル、被害死者一名二三名全壊七六戸半壊一三七戸床上浸水九三戸羅災世帯一〇二二戸。 |
12 | 1 | 町体育協会発足 | 各競技別に独自活動をしていたが、一本化をして発足した。 |
25 |
役場新庁舎に 移転 |
二五日から新庁舎で業務を開始した。竣工式は37年1月23日 | |
昭和37年 1962年 |
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3 | 24 | 開拓分校廃校式 | 六年間の歴史を閉じ、今日廃校した。生徒二三名、第二小学校に統合する。 |
4 | 5 | 新白浜熱帯植物園開園 | 白浜の一一農家が共同で、白浜観葉植物園協同組合を設立、三棟を開園する。 |
5 | 娯楽センター完成 | つくもとに完成、地下一階、地上五階。 | |
7 | 水中翼船就航 | 白浜〜神戸間に就航する。料金二〇〇〇円、定員六八人、時速七〇キロ〜一〇〇キロ。 | |
5 | 23 | 天皇、皇后両陛下行幸啓 | 三重県、和歌山県をご旅行、古賀の井に宿泊される。 |
8 | 25 | 白浜火葬場完成 | 第二室戸台風で全壊した火葬場は、重油バーナー式二基で完成した。 |
昭和38年 1963年 |
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2 | 18 | 湯崎海岸埋立完成 |
湯崎海岸埋立(公園)が完成し、公園広場内で祝賀式を行った。 埋立面積五五六二平方メートル。 |
3 | 29 | 義宮様来白 | 県内ご旅行中の宮様はむさ志にご宿泊、三〇日に臨海ご観光、串本へ向かわれた。 |
4 | 14 | 臨海番所山に三角点 | |
30 | 南和七町長四選 | 南和七四選なる。五九七三票。 | |
8 | 25 | 鍋井画伯の記念碑建つ | 三段壁公園に鍋井画伯の碑が建ち二五日に除幕した。 |
9 | 12 | し尿船就航 | し尿投棄船により処理場が出来るまで海上投棄する。一二日に進水した。 |
26 | 加藤教育長再選された | ||
11 | 29 | 電話ダイヤルに切替わる | 白浜電報電話局では、二九日午前〇時をきして、ダイヤルを自動に切替えた。 <注、新局舎御幸通りに完成していた。> |
12 | 20 | 白浜口駅三十周年記念行事 | |
28 | 白浜道路開通 | 田辺〜白浜を結ぶ海岸有料道路は二八日より共用を開始した。着工三六年三月、延長五四六五メートル。 | |
昭和39年 1964年 |
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1 | 29 | 白浜道路開通式 | 日本道路公団総裁を迎えて開通式パレードをした。 |
3 | 10 | 湯崎温泉碑再建 |
湯崎トンネル付近の温泉碑を除去し、新しい碑は四月中に建立する。 注、@除去された碑は湯崎山神社大鳥居付近にあります。 A新しい碑は湯崎トンネル白浜よりにあります。 |
4 | 14 | 原勝四郎画伯死去 | 白浜を愛し、白浜の景色を描き続けた画伯が七八歳で紀南病院で死去した。 |
24 | 白浜綱不知で遺跡発見 | 田辺最大の洞窟遺跡が発見された。 | |
5 | 22 | 天皇歌碑建立 | 番所山南方会館そばに天皇歌碑建立、除幕した。 |
7 | 29 | 白浜町議会は暴力追放宣言 | 町議会では暴力追放を目的に「暴力追放都市」を宣言した。 |
9 | 1 | 南白浜有料道路供用開始 |
湯崎〜白石橋南三差路まで二一六三メートルの供用を開始した。 注、この道路開発により、湯崎の行幸の芝が掘割となり、分割された。全通(湯崎〜才野間)は、昭和四三年一月二五日 |
1 | 老人ホーム無優園が開園 | 県立軽費老人ホーム無優園は九月一日に開園した。竣工式は八月二八日鉄筋二階建て、一四三二平方メートル。 | |
10 | 21 | 旅館組合事務所着工 | 地下一階地上三階建坪二五〇坪の鉄筋建て組合ビルが着工した。工費一八〇〇万円。 |
24 | 大浦で誓子句碑を除幕 |
大浦荘の入口に山口誓子の句碑(炎天に清流あつき湯なれども)の除幕式を行った。 工費三万円。 注、この碑は、湯崎に移転しています。 |
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12 | 12 | 白浜浄水場完成 | 栄地内に浄水場が完成した。一日一万五〇〇〇トンの揚水が出来る。これで平浄水場と合わせると一日二万三六〇〇トンの浄水力となった。 |
昭和40年 1965年 |
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3 | 1 | 白浜口駅が白浜駅に改称。 | |
1 |
ディーゼル 特急くろしお |
ディーゼル特急くろしおが、三月一日から運転を開始する。紀勢線の初の特急である。 |
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4 | 1 | 白浜警察署発足 | 田辺から独立して白浜警察署が発足した。(署員四四人)。四月一日白浜公民館で発会式を行い、開庁式は一〇日午前十時から観光会館で行われる。 |
1 | 町内の四漁協が合併 | 町内の四漁協、白浜、富田、中、鴨居浦が合併した。椿漁協は合併に参加しなかった。 | |
1 | 南方記念館開館 | 臨海番所山に南方記念館が開館した。鉄筋二階建て一五〇坪、工費三五〇〇万円。 | |
7 | 白浜交通安全自治会発足 |
白浜交通安全自治会の結成式が中央公民館で行われた。 会長、篠岡良造 |
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25 | 白浜旅館協同組合事務所完成 | 白良丘に事務所が完成した。地下一階地上三階、工費三〇〇〇万円。 | |
5 | 10 | 交通安全白浜支部発会 |
交通安全協会の白浜支部の発会式が一〇日に行われた。 支部長、楠本貞一 |
7 | 27 | 白浜マイカークラブ発足 | 交通安全協会の外郭団体としてマイカークラブが誕生した。交通安全に一役かう。会長、小司博敏 |
8 | 7 | 白浜郵便局新庁舎落成 | 白浜郵便局は、敷地一八九坪、約三七〇〇万円で購入、庁舎鉄筋一部二階建て工費一一六〇万円(一一五坪)を完成、竣工式をあげた。 |
9 | 30 | 白浜〜大阪空路休止 | 日本観光飛行協会の白浜空路は九月末で休止した。三〇年一月一日不定期航路として開始してより一〇年の空路だった。社名も日東航空、日本国内航空と変更した。 |
10 | 25 | 番所山に大展望台完成 | 番所山動植物園では六〇〇〇万円で山上に三〇〇人収容の大展望台とエスカレーターを設置した。 |
29 | 田尻遺跡発見 | 田尻浜山すそのくずれに約二〇〇〇年前の縄文晩期の遺跡が発見された。 | |
11 | 29 | 白浜警察署庁舎起工式 | |
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