回覧雑誌アカ芋29号 昭和4年9月改訂発行を参照した。

昭和3年4月21日

 白良浜の北隅の芝勇別荘の下で、土地会社が「ウントサ」を入れて掘っていたが湧いて一時間百石ばかり湧出で、温度は42度、これがどんどん海へ流れ出すので、此間中、八角網の染料を炊いた大釜に受けて五右ェ門式に入浴していたが、土地会社の古田さんが、そこのみのわの浜の渚へ磯石を利用してセメントで湯壷を掘って一寸崎の湯程の大きさで、湯の中へ磯石を一本立てて男女のへだであるを完成してくれる。

 何しろ目下お辰湯が中止であり、まぶ湯が「ウントサ」中で水のようで入浴できず、今では浜の湯や稲荷湯まで行かねばならぬ所へ此の露天湯が出来たので瀬戸の人達は大助かり、着物をそこらの草の上や石の上にぬいで男女も子供も露天の下で海原を見晴らしながらの混浴で、正にこれ原始時代。