気をよくした湯崎 紀州画報11月号 昭和15年11月20日印刷納本

 (今津町長が旗を捲いた話)
 新体制の第一歩として隣保曾なるものが各地に結成された。
白濱町も去る十月十三日同地小学校で花々しく結成式を挙行したのであるが、是が出来上るまでに湯崎区民と今津町長との班名問題で一悶着が持ち上ったといふ話を御紹介しょう
 今津町長と湯崎区民は、曩の町名問題での紛争この方、今だに犬猿の間柄であるといふことは知る者ぞ知るであるが、今度の隣保曾を結成するに当り今津町長は「新体制に副ふ意味で従来の字名を抹消して新しい名前をつけるこ とにせよ」と主張 湯崎は温泉町と本町にすることを要求したのである。
 ところが湯崎区民はおさまらない。「いくら新体制だからと云っても祖先伝来の字名を捨てゝ全く親しみのない名前にするといふことは馬鹿げている。絶対反対だ」と意気まき、中にも南組は急先鉾となり本町組と共同戦線を張ったのである。
 そしてコツソリと探ってみると今津町長は知人の某氏に「湯崎の名前を解消して置かぬと将来叉何を企むか解らぬので、瀬戸部民には気の毒だが致し方がない」と洩らしたと云ふことを知ったのでサア事。
 向ふが其んな気ならこちらも腹をくゝらねばと封策を練り、結成式の前夜開かれた町内会長班長合議に鈴木喜次郎部長を初め森洋三、川邊弥一郎、田中金蔵の諸氏が闘志満々で臨んだのである。
 そして今津町長より命名問題が出るや待っていましたとばかりに一斉に筒口をひらいて猛攻撃したところ、瀬戸の方も新しい名前には快よく思っていないので期せずして共同戦線を張ることゝなり、而も鈴木湯崎部長は今津町長が知人に洩らした言葉を素つば抜いたので、サスが頑張りにかけては自他共に許す同町長もこの時ばかしは旗を捲き、湯崎側に凱歌が上つたのである。
 同夜の模様如何にと首を長くしていた湯崎部民は「はじめて我々の主張が通った。コレでリウインが下った」と喜んだことは説明するまでもないことだ。
 そして結局白濱町は自濱御幸通りに、瀬戸は一丁目から四丁目までに、湯崎は一丁目から三丁目までに、また湊町は綱町、御舟町、羽衣町の十三に分ち十三日の結成式は盛大に幕を閉じ「恥しくない隣保曾を育て上げよう」となつたことは目出度き限りであると白良濱 雀生からの通信である。