大正7(1918)年頃円月島、 海峡に白く細長いのは完成間もないと思われる波止場です。

 円月島の説明

 この撮影年代を判断する材料はないと言ってよいのですが、僅かな隙間から湯崎を見ると一部分のみ、これらと一緒の絵葉書で、大正7年頃の白良浜の鳥岩と合致する一部が湯崎にあります。残念ながらスタンプがなければもっと判断する材料があると思われますか、これとていたし方のないことです。

 この映像は湯崎名所絵葉書16枚組の一枚で、この16枚を丹念に観察すると、各絵葉書の下にAとB、それに記号のないものがあります。

 それらの共通点は、Aはほとんどが昭和、Bは大正と思われるもの、記号のないものは旅館の建物の宣伝用絵葉書です。

 この円月島もBの記号が印刷されています。記号のある絵葉書をもう一つの方法で分類するとAは湯崎、Bはそれ以外地区となりますので、年代確定の参考になりません。そしてこの記号分類は地区記号と考えるのが正しいと思います。

 もう、一つの材料は、崎の浜から円月島に伸びる波止場です。完成して間もないと思われるのですが、これとて完成して年月日の文献がありません。この話を大原満氏したら、「波止場に何か書いている」云う。

 翌日調査したら、コンクリートの塔が二本あって、前の一本は文字が消えてなく、後ろの一本に「和歌山県紀州灘沿岸白浜海岸瀬戸地区海岸保全区域境界標」と記入されていた。ガッカリしたが、これも勉強と気を取り直しながら帰宅。この塔二本建立年月日の記録は調査不可能と判断し、上記の判断材料を活用することとして、湯崎の一部が大正7年頃の白良浜の鳥岩と同じ年代に撮影されたとして掲載します。

 写真説明

 円月島の裏は珍しい。そして左側の山は権現崎の松の前です。現在では瀬戸の新波止場から前の山が撮影されています。権現崎と円月島の間の遠くは湯崎の走り湯方面から平草原です。