昭和8年頃,綱不知、 同日に撮影された綱不知 

 説明

 昭和7年3月30日

 白浜温泉土地会社では、その経営地内の山上に、綱不知から白良浜まで、山上ドライブウエーの改修にかかる。

 昭和7年9月20日

  白浜土地会社、綱不知より白浜に至る山上道路を新設。柳橋通り、堀割道路上十四米の高さに巾四・二米、長さ十四米の陸橋を田原政吉氏が請負いエ車中架設完成、白浜の新名所となる。

 昭和8年4月30日

  昭和六年七月着工した三軒家の鼻地先海面二三、六〇〇坪の埋立工事、今津勝太郎氏ら六人組によって竣成し、道路、区画整理なども終る。

 昭和8年の写真の月崎(元丸山)と比べると少し変化がある程度で,白浜ホテルが完成しているようにも見え,工事中と思われる建物がありますが,その他の所は変化がありません。
 昭和8年頃に撮影されたと思われる。

 この山上ドライブウエイは明光バスが山上ドライブウエイとして,「ツヅヂ」四千本の植栽や山上展望台を造成したとあり,この写真の撮影地点が展望台と思われる。

 又、白浜音頭の「ツツヂ山からおの瀬戸崎へ」のツツヂ山は,2004年4月現在の白浜中央公民館玄関前の山に植栽されいた一帯を詠んだものと私は思っています。

 ついでに白浜温泉音頭について
 これは,昭和9年4月第二版 白浜・湯崎温泉 名勝説明指針 車掌用 明光バス株式会社の裏表紙手前に「白浜小唄集」が貼り付けられています。その中に白浜温泉音頭が記載され,白浜温泉音頭楽譜 ハ調四分の二 中山晋平氏作曲とあります。

 また,「君を松原」とあり,これは現臨海にあった松原か,白良浜の松原かは,判明しませんが,臨海の松原から白良浜の花火が空こがすと私は思うが,如何でしょうか