昭和9(1934)年頃、羽衣半島

  昭和9(1934)年古賀浦おもざか付近

  飯台海峡には、昭和9年5月完成の羽衣橋がありません。

  飯台海峡には、筏のようなものが見えますが、下記の記録から真珠筏と思いますが、如何でしょうか。

  又、飯台海峡の上に、白く大きな砂浜が見えますが、藤島から続いています。

  この写真撮影は、昭和8年3月18日から昭和9年5月までと思われます。

  このホームページに掲載は、昭和8年が正しいと強く思ったが、迷い、迷い苦しい選択で、昭和9年初頭として掲載した。


 昭和8年3月18日、筏式真珠 養殖殖始まる 。

 瀬戸鉛山浦漁業組合と三重県鳥羽の御木本幸吉氏との契約で、昭和八年三月から昭和十八年二月までの十ケ年間、年四百円の賃貸料で御木本氏綱不知湾内で筏式の珍らしい真珠養殖事業を始む。(村の日記)

 昭和9年12月20日 三千人収容は充分迎春準備

 来春は飛行機や毎日運転の黒潮列車での正月客の予約で、各旅館共その受入れ準備に大童。第一線のサービスに立つ女中さん探しに懸命。年内に黒潮ホテル、電気旅館、望月旅館、中央アパートなど開業。 栖原屋、白浜館の増築貸間、下宿屋などを含めて三千人の受入れは充分との観測。

(村の日記参照)

 この写真は昭和9年に掲載します。

 注、栖原屋、白浜館の増築。

 栖原屋の増築は昭和10年の湯崎トンネル工事の写真で理解できるのですが、白浜館の増築は白浜館が一部三階に増築した時のことかは不明。

 望月旅館(昭和9年)

  何なのでしょうか。

 推測ですが望月と旅館名を称号したのは、古賀浦方面は海面に映る月が綺麗であったからでしょう。