昭和15(1940)年頃 平草原より綱不知湾。

 昭和15年(1940)年頃 平草原より畠島、写真右の湾、 大浦湾、そして綱不知、阪田の鼻。月崎(元丸山)には 白い建物の川久花壇と白浜ホテル、丸い山の建物の右に東白浜水族館、写真手前少し大きく灰色になっているのは大浦開発、そしてその上から細く平草原に続く道路が見える。この写真は 全体がカットされていない拡大部分をバスをカットして縮小した。

 この写真の部分拡大を下に掲載します。。

 阪田方面

 昭和13年11月12日、陸軍転地療養所、昭和15年7月4日、陸軍療養所運動場拡張のため海面埋立が竣工していないか、しているかでしょう。 全て完成していると判断した。

 昭和10年7月1日、白浜水族館開業(東白浜月崎)と川久花壇や白浜ホテルがある。

 羽衣附近と藤島

〇、昭和10年7月1日、白浜水族館開業(東白浜月崎)

@、昭和11年12月3日、平草原バス専用道路竣工式

A、昭和13年11月12日、陸軍転地療養所開所式

B、昭和15年7月4日、陸軍療養所運動場拡張のため海面埋立

C、昭和15年11月1日、明光バス遊覧廃止

D、昭和18年3月8日、明光バスの平草原廻り許可される

E、〇〜Dまでの用件は全て満たしています。

F、Dから昭和20年8月(終戦)は宣伝用の写真撮影はないと考えるが正しいと思います。

G、昭和21年12月21日、南海大地 震の影響が東白浜月崎方面には見当たらない。

H、昭和24年頃からバスが大型化します。

結論

 昭和22〜昭和23年頃とも思われが、明光バス鰍フ「50年のあゆみ(昭和55年9月発行)」に昭和11年、明光バスに最初に入った流線型(新車2501号)と同じ写真に記載があります。

 上記のようなことから、昭和13年〜昭和15年に撮影されたと考えます。

 掲載は昭和15年とします。

 なお、この写真は一部カットされて当時のパンフレットなどに使用されています。