江津良 方向地蔵堂の右横です。                Photo/2005-10-11

 武田精心之碑                                   Photo/2005-10-11

 江津良の地蔵堂に建立されているこの碑は碑文はないが、武田精心を知る古老の語るところによると、行者で明治時代、どこから何の目的で江津良に来たのか分からないが、地蔵堂に寝泊りしながらたびたび修行に出入りして江津良に来たら地蔵堂を我が郷里の家に帰って来たように懐しみ、村人を四国の霊場巡りに連れて行ったり、子供も気軽にこの行者に話しを開きに集まったりして親しんでいた。殊に地蔵祭りの際踊り場がなかったので、地蔵堂前の畑(現在の江津良集会地)を手に入れ踊り場として村に寄付するなどして、村の人たちは行者に感謝したのであるが、ある年またいつものように修行に出たまま今度はなかなかいつまでたっても帰らず、以後消息不明のままである。村の人たちはこの行者の遺徳をしのび昭和九 (一九三四)年冬江津良地蔵講中の人々により「武田清心之碑」として建立され、最後に旅立った十二月十九日を命日として、毎年念仏を唱え供養している。

 付記 武田清心について江津良地蔵講で保存している明治三十四(1901)年六月の大師講の裏表紙に、鹿児島県阿多郡清水町二六四番地、士族、山籠念仏行者、武田精心と書かれている。しかし、鹿児島県には阿多郡清水町という地名はなく川辺郡川辺郷清水村というのが現在川辺郡川辺町字清水となっている。