南紀白浜・文芸・碑文・鉱谷の追分け石のDATAです。

 追分け地蔵                       Photo/2005-10-12
 元、白浜中学校運動場の字向畑の旧道に「六十六部地蔵」とほぼ同じ位置に祭られており、その後運動場の南側斜面中腹に移されていたが、竹末佳永の好意により昭和五十五(1980)年八月五日、町道鉱谷線添いの同人の所有地に移転されたものである。地蔵の光背頂部に「地蔵菩薩」を表す種子(カ)と、「右とんだ道」 「左たなべ刀ケ谷」と彫られ、両手で宝珠を持つお顔は微笑みを浮かべた優しいまなざしは、往時の通行する人々の心を慰めたことであろう。