写真向かって左が「いのふけひる地蔵」

 「いのふけひる地蔵」       Photo/2005-10-17

 この地蔵は、「蛭除け地蔵」とも呼ばれ、大正12(1923)年に綱不知から丸公園までの道路(現、御幸通り)が改修されるまでの旧道に位置する常喜院参道の入口から20mの東側山すそに祭られていたもので、この附近一帯の字名、台田・井ノ泓(ふけ)はひどい湿田地帯で稲作はできても裏作はできないという沼地で蛭(ひる)も多く生息、殊に田植えの季節になると蛭の被害に田植えの作業もたいへん苦労したため、蛭の口を封じる祈願から祭られいたが、その地蔵も原型をとどめないまでも風化している。今ではそのそばに「いのふけひる地蔵」と彫られ合掌した地蔵が南てる子によって新しく刻まれ祭られている。