瀬戸の蛭子(えびす)神社                 Photo/2005-10-22

 祭神 事代主(ことしろぬし)

 勧請の時代は不明であるが、「紀伊続風土記」及び文久2年の書上に見える。

 御神体は木像であったが、明治24年(1891)9月中旬消失していたことが発見された。

現在ものは瀬戸鉛山村の議決を経て本年12月西宮から勧請したものである。

参考文献 町誌本篇下巻一


 参考記録

 ○、明治22(1889)年6月15日 不漁続く

  きびなご網で百余貫の水揚げありしも、当今いさぎ、鯖漁は極度の不漁で当浦より出稼ぎの漁船もことごとく帰郷する始末なり。

 その他当浦においてはこれと言う目立ちたる漁事なし。

 (注、瀬戸崎新報明治22年6月15日発行第3号雑事より)

 盛漁期であるが全く漁獲なく漁師ら終日出漁を取り止めて瀬戸浜の蛭子神社で汐祭りを行う。

 出稼漁船廃業

 明治初年から続いていた鯖延縄出稼船もほとんど廃業して、地先鯖延縄船のみとなる。

 ○、大正10(1921)年3月21日 汐祭り

  毎日シケて鯛も不漁なので海産商と漁業組合が主催で汐祭りを瀬戸の戎さんで行う。式後瀬戸の青年と、雑賀崎やカンコ船の漁師との大寄せ角力あり。

 参考文献 明治篇と村の日記