山神社
上の写真 Photo/2005-10-24 下の写真 Photo/2005-11-01
社 号 山神社
所在地 白浜町湯崎三〇三五番地
祭 神 金山彦(かなやまぴこ)命
大正末期の社掌浜本久太郎の記録に、「金山彦命」とある。鉱山の神である。
山神社(さんじんじゃ)は、江戸時代には山神宮若しくは三神宮と書かれ、「さんじんぐう」と呼ばれていたものと思われる。勧請の年代は不明であるが、社伝によると、弘治年間(一五五五〜五八)湯崎の地が大火に見舞われ、神社も炎上、神器等ことごとく焼失したが、文禄年間(一五九二〜九六)に再興されたという。また「瀬戸古事」によれば、「山の神の社、小山の半腹二有り、此神之事不知、鉛りさかんの時に勧請すと言へり云々。」とあるから、恐らく室町末期に勧請されたものであろう。
もと湯崎の浜辺、すなわちタタラ町二一八六番地(現、白浜温泉郵便局)に鎮座していたが、社地は狭く社殿も粗末で、かつ海岸道路に沿い、民家の下方に位置していたので、著しく神社の尊厳を欠くという理由により、昭和二年(一九二七)十二月二十八日付けで移転を出願、翌三年一月十四日認可を受け、五月十一日眺望絶佳な現在地(湯崎一九一二番地酒井真一所有山林四〇五坪無償寄付)に正遷宮し、現在に至っている。
境内神社
戎神社 山神社の左 Photo/2005-10-28
温泉神社 山神社の右側一番目 Photo/2005-10-28
御書神社 山神社の右側二番目 Photo/2005-10-28
このうち戎神社(祭神事代主命)、温泉神社(祭神少彦名命・大己貴命)はいずれも勧請の時代は不明であるが、前者は寛政四年の「寺社詞書上帳」及び文久二年の「寺社書上帳」に見え、後者も「瀬戸古事」に、「二神社、大己貴尊、少彦名尊、右之社ハ来迎寺境内ニアリ。」とあるように江戸時代からあり、のち合祀されて一社になったらしく、俗に「湯の宮さん」と呼ばれ、山神杜の旧地にあり、その隣りに戎神社が鎮座していた。これらは大正十四年(一九二五)七月十五日に山神社に合祀されたという記録がある。
御書幸神社の創建は比較的新しく昭和初年で、江戸初期の年貢免除の古文書四通を御神体としている。
境 内 四〇五坪
祭礼
江戸時代には九月十一日に祭礼が行われ、現在は十一月二日が例祭日となっており、「御書祭」は有名である。 |