上の写真 Photo/2005-10-29、下の写真 Photo/1933-06-01

 昭和8年6月1日「七百五十年祭記念」として建立。

 写真左から千次郎、威三吉、永吉、竹蔵、伊右ェ門、一雄の各氏。注、性は全員、真鍋

 参考文献 真鍋家先祖八百年祭記念 淨林 昭和57年6月2日


 真鍋右京亮墓碑

 綱不知の船着場そばの小高い森の台地に碑文はないが、昭和8(1933)年6月1日の真鍋家の先祖祭り七五〇年を記念して同家の祖、真鍋右京亮(通称久五郎)を顕彰するため、その戒名「清真院真香浄林居士」を真鍋繁次朗が書いたものである。真鍋家は平家一族といわれ、備後灘に浮かぶ真鍋島(岡山県笠岡市真鍋島)から来住したと伝えられるが、いつごろどのようにして当地に来住したのかは今もって不明である。

 昭和31(1946)年12月21日の南海地震による大津波来襲の際、ここに非難した多くの人命を救った森として、土地の人々は「浄林の森」と親しく呼んでいる。

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