草堂寺  東富田    写真撮影提供 栗山誠子                 Photo/2005-10-31

 桜の葉が少し秋を感じさせてくれます。(メールの感想文)

 写真左、石階段り下に「熊野古道・大辺路」の「くまのみち」と石に刻まれた道しるべがあります。

 草堂寺

 往古より円光寺という真言宗のであったのを、慶応元年(1648)四月、高瀬村中岩久煕の弟洞外(1619〜1692)が再興して、寺号を草堂寺と改め禅宗の寺としたのが開創で、寛文6年(1666)の洞外自筆の覚書、同年の寺院書上や「紀伊続風土記」などによって自明である。

 なお草堂寺といえば、芦雪寺として入口に膾炙している。            参考文献 町誌本篇下巻二

 関連

 芦雪温泉と霊水

 昭和八年(1933)年五月、地元の禅宗臨済宗派草堂寺の先住清水令温和尚が十九渕地区の谷奥に祀られている小さな祠の下からこんこんと湧き出ている冷泉のところに数戸の自炊小屋を建て、桶風呂でこの冷泉を沸かしてこれわ「芦雪温泉」と名づけた。

 第一次ブーム。

 和尚さんの経営する温泉だ、きっと万病に効くのだろうと、この山奥の「猪の出てくる温泉」めざして湯冶にくるものが続出、結構、芦雪の襖絵とともにこの温泉の名は次第に高まってきた。そしてこの温泉めざして米や野菜を担いで近郷の農家のひとびとが人間一人歩くだけの、しかも雑草の生い繁った一筋の道を、まるで分け入っていくような格好でここにたどりついたのであった。

 こうしてアピールもしないのに、いつの間にか「芦雪温泉」は白浜温泉、椿の温泉の仲間入りができるようになった。ところがこの温泉が開業してからちょうど十年目の昭和十八年三月十四日に、世にも稀な大山火事がこの地におきたのであった。 「芦雪温泉」は跡形もなく焼失してしまった。

 第二次ブームと地元で云われている。

 そもそも、ことのおこりは白浜町の最高峰塩津山の頂に無線交換局がつくられ、自動車道が完成したことから、一躍中ノ川(なかのこう)の湧き水は「天下の霊水」として口コミによって次から次へと伝わり、ポリ箱を10個以上も積んで、和泉・大阪・兵庫ナンバーまでがひっきりなしにこの霊水へと殺到するようになった。                                                      参考文献 町誌