崎の湯 「立派な石階段があった」と故三栖金蔵さんが生前に話していた。

 行幸の芝から崎の湯への道で、当時、行幸の芝には仮御所があり、有間皇子、斉明天皇、天智天皇、持統天皇、文武天皇もこの道を歩いて崎の湯に来たと思われる。

        

 写真左下に「屋形の湯跡」の碑があります。南方熊楠も明治35(1902)年6月3日から明治35年10月8日まで瀬戸鉛山村(現白浜町)鉛山j(現湯崎)の有田屋からよく屋形の湯に行かれています。屋形の湯跡碑、平成8年5月吉日と裏面に記載されています。

 写真左はこの道の一番上から見たものです。この道の左側が薬師堂です。

 薬師堂の道、小学校への道とも言われた。前の森に薬師堂がある。
   
 来迎寺門前左の道  来迎寺裏門の道    大谷の坂       ウメバラの谷      

 湯崎の道                                 Photo/2005-11-10