湯崎七湯の碑 Photo/2005-11-12 表面 ふる国(ぐに)の磯のいで湯にたづさはり 夏の日の海に落ちゆくを見つ 茂吉 湯崎温泉は奈良朝以前より 「牟婁の湯」と呼ばれ、明治初期から 崎の湯 屋形の湯 阿波湯 疝気湯 元の湯 浜の湯 礦湯 の七湯を「湯崎七湯」と称し来泉客に親しまれた。 明治初期の鉛山村の図が刻まれています。 裏面 湯崎名七湯の内、今回浜の湯、礦湯の両湯を統合し、あらたに「牟婁の湯」浴場を建設するにあたり湯崎温泉発展の礎となった「湯崎七湯」の名を末永く後世のためにしるす。 昭和六十年三月吉日 白浜町長 片田良穂 |
|