若宮の跡   立ヶ谷                            Photo/2005-11-14

 枯葉や上の土を取り除いたら石板などが出て来た。正面、長方形の石は、清水を入れていたのでしょう。中は空洞で昨日の雨水が 溜まっていたを写真右の黒くなっている所から掘出して、台石と思われる上に置いて撮影した。


 参考一
 若宮神社に付いては今八十才に近い或媼が祖父から開いた話ですがと云って、次の様に話してくれました。
  安政二年(一八五五)の頃、大津波があって疫病が大流行をしたので、村の人達は巫女を呼んでこの災厄を逃れられる様祈祷をして貰った。その折巫女に神霊が乗り移って、

  「我れは身分の高い者だが、この地に死して埋められた儘になっている。我を供養し祀るべし」

とのお告げがあったので、村では早速と海際の山中に祠を造って御祀をし、若宮様と呼んでおりました。                        参考文献 町のあゆみ 駒井虚峰 太刀ヶ谷神社より抜粋した。


 参考二
 若宮さんの由来については、昔立派な旅人が道路側に殺されていました。部落の人達があわれに思い、ねんごろに葬りました。ところが其の部落に病人が出て困ったそうです。そこで皆なで相談して、祈祷してもらったところ、「私は長袖を着るものだから、若宮の神としてまつれ」と言うお告げがありました。こうして祭ったのが今もある祠、若宮であります。其の凝、地区には病人がいなくなったと言うことです。
注‥長袖を着る者=宮中に居られる入=

                                    参考文献 町のあゆみ 立谷恒男 神秘の里 古老に聞くから抜粋した。