菊原君がこれこれ、僕、玉田君周囲あらけて、写真撮影したが、全体的には円形の形の石積みであった。
明治の初年頃に瀬戸の倉の鼻の山頂に、鯖魚のための夜炊きができた。 白浜漁業協同組合の真上にあり、夜炊き跡と思われる。 宮崎伊佐朗翁からの話を要約すると「湯崎の灯明台が無くなって、瀬戸の漁師が船で夜、瀬戸の港に帰って来る目当てが無くなったので、夜炊きをしたいたが、湯崎の二人が四双島にランプをつけることとなったので、夜炊きを止めたが、雨や風の強い日の湯崎の二人のランプ点灯は大変苦労があった」と話されていた。 |
倉の鼻頂上より御船山を望む。 Photo/2005-02-25 |
後書 玉田伝一郎、菊原節太郎の両君と瀬戸古道に午後一時より行って来た。 その前に菊原節太郎、西脇徹の両君が瀬戸古道を歩いて、倉の鼻の上で石垣のようなものを見つけたと写真を見せて貰っていたので、興味深々であった。 それが、上記に解説している夜炊き跡と思われるものです。 大切な命を守る灯台と同じと思います。それが、この場所で約40年間も続けられていたのかと思うと頭の中がジーンとした。 何故ジーン来たかと云うと「地域共同体で長年に渡って地域一人ひとりの命を地域全体で守って来た跡だからです。」 話は変わりますが、 少し、甘く見ていたのか、馬目谷に下りず、尾根を迂回して、御殿井戸に出た。 はっきり言うと迷ったと言うことです。 |
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