松原(現臨海)から馬目谷までの間の初めての掘割。

 大正11(1922)年4月18日、臨海研究所への道普請。

 研究所の建物も大分出来たので、旧道の倉の鼻からの山路を拡げることになり、村中から賦役に数日出ることになる。

 大正11(1922)年7月28日、京大理学部瀬戸臨海研究所の開所式

 京大総長荒木寅三郎博士来所され、水族館無料開放、角力、投餅などあり、村内は勿論、近在からの見物人も多く終日賑う。


 下記の臨海道路完成 までは、船か、この道を通らなければ、松原(現臨海)まで行くことが出来なかったので、京大理学部瀬戸臨海研究所の開所式当日は、多くの方々が、 想像すると新調の服装で、この掘割を通ったと思う。

 昭和4(1929)年5月22日、臨海道路完成

 四月初め工事にかかった臨海へのお成街道、昼夜の突貫工事で、瀬戸海岸から倉の鼻を廻り、番平谷、九郎右ヱ門谷の難所も、平担々のコンクリート舗装もできて、楽々とあたりの景色を賞することが出来て素晴しい。