慶安2(1650)年に松原(現臨海)に別館建築、建築資材は船か、この掘割を通ったのでしょう。想像すると楽しい。 多分建築資材は船でも、この掘割を通って人力でも運ばれたと思う。当時の建築資材を運ぶ人々の声が聞こえてきそうな自然林の中です。 別邸が出来て瀬戸通いの印判、通行手形でしょうか、私には専門的なことは解りませんが、別邸警護だと思います。印判がなければ当時松原(:現臨海)に行くことが出来なかったと思う。警護の人のことは、別に記します。 少し、寄道します。3月3日に「ミステリーな石」の話をしましたが、掘割の道の中にある大きな石です。この石、立てたとしたら丁度人が座っているように想像出来ます。 で、作り話で、「この石が道の真中にあって、行交う人々の安全を見守っていたのと違うか」と話したら、同行者達が唖然としたと記述したのです。 さて、同行者達が「ここから落ちてきた」と云う。場所はどこでしょう。 一度、瀬戸古道を尋ねて、探してください。 今も、この掘割の両側石には、「ノミ」の跡が残っています。 掘割を 通り過ぎて、振り返って撮影した。 Photo/2005-03-05
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