忘れられて自然が回復しています。こんな素晴らしい自然のある池は、山歩きをしても、お目にかかることは珍しい。海の傍の小さな池ですが、深山の中にいるような気がする。瀬戸御殿を警護する九軒長屋の生活水だったのでしょうか。

 池にする為に、堤防が築かれています。最近はコンクリートで、こんな石積みの堤防も歴史を感じます。

徳川吉宗
生年1684年−没年1751年
両親
紀州藩主徳川光貞(きしゅうはんしゅとくがわみつさだ)の四男。

幼名源六(ようめいげんろく)、新之助(しんのすけ)
略歴
 江戸幕府八代将軍(1716-1745)。兄達の相次ぐ死により紀州藩主となり、徳川家継(とくがわいえつぐ)のあと、徳川宗家(とくがわそうけ)を継いだ。諸事家康(しょじいえやす)への復古を唱え、武芸・学問・殖産興業を奨励(享保の改革)、徳川幕府中興の祖とされる

 

紀州家の歴代当主と後嗣たち
初代(藩主) 頼宣
光貞(二代)
松平頼純(西条藩初代藩主)
二代(藩主) 光貞
綱教(三代)
松平頼職(越前国丹生藩主、のち和歌山藩四代藩主徳川頼職)
松平頼方(越前国葛野藩主、のち和歌山藩五代藩主徳川吉宗)
三代(藩主) 綱教
(実子なし)
四代(藩主) 頼職
(実子なし)
五代(藩主) 吉宗
1716年、八代将軍徳川吉宗として将軍家へ養子。
六代(藩主) 宗直 (支藩西条藩から養子。吉宗の従兄弟にあたる)
宗将(七代)
松平頼淳(西条藩五代藩主、のち和歌山藩九代藩主徳川治貞)
七代(藩主) 宗将
重倫(八代)
松平頼謙(西条藩六代藩主)
八代(藩主) 重倫
治宝(十代)
九代(藩主) 治貞
(実子なし)
十代(藩主) 治宝
(実子なし)
十一代(藩主) 斉順 (元清水徳川家三代当主。十一代将軍徳川家斉の実子)
慶福(十三代)
十二代(藩主) 斉彊 (元清水徳川家五代当主。十一代将軍徳川家斉の実子)
(実子なし)
十三代(藩主) 慶福
1858年、十四代将軍徳川家茂として将軍家へ養子。
十四代(藩主) 茂承 (支藩西条藩から養子。紀伊藩七代藩主徳川宗将の玄孫)
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紀伊徳川侯爵家
十五代(侯爵) 頼倫 (田安徳川家から養子。夫人は十三代茂承の娘)
頼貞(十六代)
十六代(侯爵) 頼貞 (戦後、衆議院議員)
頼韶(十七代、早世)
紀伊徳川家断絶

参考文献 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』