上の写真は、平草原公園民族資料館前にあります。この境目石、元は鴨居附近の海岸に転がっていたらしい。

 この境目石の話を以前に知人から「海岸に転がっている」と聞いて探しに行ったことがあります。多分 、昭和39年南白浜有料道路昭和39年9月1日県営白浜有料道路開通工事により、放棄されたものと思われるが、今はあった場所すら想像するしかない。

 下の地図は瀬戸浦絵図の部分絵図で、この絵図の右端下にあったと思われる。

将軍吉宗公御成

元禄15年

一同十二日主税頭様十一日和歌山御発駕、十一日晩小松原泊り陸通御越被成由大庄屋○々に申來人馬用意、同日南部迄御越、大庄屋半右衛門所へ御入、夫より堺浦ニテ御舟に召瀬戸へ御渡海 後文略。

一同二十五日主税頭様湯崎御発駕為遊陸御通富田観福寺へ、(中文略)、瀬戸御滞留之内鯨一本上ル、(後文略)

(田辺大帳)                      注、○文字判読不明


 鉛山(現湯崎)から駕、遊陸と記され富田観福寺に行かれています。

 瀬戸浦絵図には鉛山(現湯崎)から二本の道が富田方面に続いています。

 どの道を通ったかは、想像の域ですが、もしかして、この境目石も見たかもと思うと、海岸に転がっていた境目石が、ここに保存されているのが嬉しいてす。

 覚えているでしょうか。NHK大河ドラマ八大将軍吉宗の三段壁の映像を、全く作り事ではないのです。瀬戸浦絵図の海岸よりの道を通ると三段壁には立ち寄った可能性があります。又、上記の写真の境目石を見た可能性もあります。

 本当に、どの道を通ったのか、この瀬戸浦絵図を見て想像してください。

   瀬戸浦絵図 瀬戸部所有 江戸時代 注、文字はコンピュタ処理した