湯崎・庚申 Photo/2005-04-21

 庚申信仰
 湯崎の山神社背後の雑木林に囲まれた台地にには、昔から庚申さんが祭られている。
「西国三十三所図会」{嘉永元(1848)年3月付けの序文がある}に、庚申山は「金徳寺の傍より上がる事、凡(およそ)三丁余にして山上に庚申塚の石の祠あり、此所より西北の眺望絶景也、石祠には青面金剛を祭るなるべし。」とある。
 祠には今も腕六本をもつ青面金剛が祭られ、そばには「げにいのる、こころばかのへ、よいのそら、うんはてんより、さづけたまふぞ」と詠まれた短歌や猿の人形も奉納されている。
 庚申信仰とは千支の庚申(かのえさる)にあたる日に行われる信仰行事で、中国において説かれた三戸説(人の体内に住む三戸という虫が庚申の夜、人の眠っているうちに天に昇り、その者の平素の罪を神に訴えてこれを早死させるので、その夜は眠らずに謹慎しているべきだとする道教的教え)がわが国に伝えられ、村人たちが庚申の夜ごとに堂にこもって終夜眠らなくなったものと、江戸時代以来いわれてきた説によるものであるが、湯崎地区では眠らずに徹夜するという庚申待は行われなかったようである。
(中文略)
 庚申さんの御利益として、紛失物をしたときに祠ごと縄や紐でくくりお願いすると、紛失した物が見つかるといわれ、そのときには早速七色(七種類)のお菓子や猿の縫いぐるみなどを供え、丁重に縄をほどきお礼参りをする。
 60日ごとにめぐりくる庚申の日と不断もお参りする。
(後文略) 町誌参照


  路傍や山中に建てられている石碑・石塔類には様々なものがありますが、中でも比較的数多く見られるのが「庚申(こうしん)塔」と総称されるもので、行事の記念碑として村境などに建立されたものです。大きく分けて「奉待庚申」などと刻字されているもの、「猿田彦大神」(神道系)などと刻字されているもの、「青面金剛像」(仏教系)が彫られているものの3形式があり、また自然石による無銘石碑の中に庚申塔と考えられるものもあります。またこれらの「庚申塔」には道標としての意味もあったようです
 青面金剛
 これは仏像ではなく、難しい話になりますが、垂迹(すいじゃく)部に属する雑尊─道祖神、三宝荒神、牛頭天王、七福神などと一緒に分類される像で、何と「鬼病を流行させる神」で、それを逆手に取って、病魔悪鬼を追払うために修されます。その形像は青身で四臂の憤怒形。中世以降は道教思想も混交して庚申信仰の本尊として祭られるに至る。帝釈天の使者で、庚申の日に祭られる薬叉神とされる。仏の慈悲を表す柔和な面相とは全く別系統に属し、憤怒相の仏が悪鬼を威嚇し、教えに従わない衆生を教化するのに最適と、密教では特に重んじられました。
(参考文献)入門啓蒙書として『庚申信仰──庶民宗教の実像』飯田道夫(人文書院刊)