熊野古道・大辺路・富田坂・城山入口附近。                                             Photo/2006-04-23

 檜を取り囲むように杉の木があり、一本の木のように見えて珍しかった。

 上、富田平野を見ながら説明を聞く参加者

 下二枚、本丸より富田平野が一望                         Photo/2006-04-23

 2005年3月31日に富田クラブの皆さんと見学。
 以後、城山の勉強や道を切り開いていると聞いていました。
 あれから、約一年、
 地域の皆さんの団結で、よくここまで復旧できたと思いました。
 最初見学に行ったとき、すごく茂って足を何所に置いてよいのやら、体が前に進まずといった雑木林とブッシュでした。
 大変なご苦労があったことと思います。地域の皆さんの保存しょうという力の結集と思っています。


 馬谷城「(うまんたにじょう)(要害山城)」とは
 富田草堂寺の南東にある海抜90メートルの小さな山は昔から城山と呼ばれていました。それは約5百年前安宅荘の安宅実頼が吉田春秀に出城として築かせたとの記録があり昭和の初め頃から戦後でも武器や土器のカケラが見つかりました。
 市の瀬の山本氏との戦いに備えてのものと伝えられています。


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