北野殿熊野詣日記を読む |
北野殿熊野詣日記・北野殿らの行程は略した。 守護や奉公衆の接待 平安・鎌倉時代の国司に代わり、室町時代には、室町幕府によって補任された地方長官である守護と、幕府直臣の奉公衆が、沿道や宿所で北野殿たちの接待にあたっている。 略。 奉公衆とは、守護の輩下にはいらず、室町幕府の将軍と直接主従関係を結んでいる武士で、紀南にはこのような武士が多い。 略、 山本氏は三鍋(南部町)まで迎えにきて、本拠である一の瀬(上富田町)では昼のもてなしをしている。また、一の瀬以降の中辺路ルートの山中の警護には、山本・端の湯河・安宅・周参見の各氏が武士を動員してあたっており、近露(中辺路町)には奥の湯河氏が兵士を連れて迎えにきている。 本宮・新宮・那智の三山では、それぞれ御師が接待にあたっているので関係がないが、広(広川町)から湯川(中辺路町)までの間、接待や警固にあたった玉置・山本・湯河の各氏は奉公衆であった。このうち、湯河氏は山中の湯川を本拠としたが、このころには日高郡の御坊平野にも進出しており、前者が奥の湯河氏、後者が端の湯河氏と呼ばれていたことがわかる。 ちなみに、湯河氏は中辺路の山中を支配することで財をなし、芳養(田辺市)から日高郡に進出し、戦国時代には紀南きっての大名に成長することになる。 略。参考文献 熊野古道 小山靖憲著 岩波新書 2002年5月2日発行第6刷発行 |