大日超 |
本宮から湯峰温泉へ超える古道を大日超という。 天仁二年(1109)10月の藤原宗忠 三山参詣を終えたのち、「御前の西山」の坂を十余町越えて、湯峰温泉に行き、谷底で温泉と寒水がうまく混じり合っているので「誠に希有の事なり。神験にあらざれば、あに此の如き事あらんや」と感激し、「この湯を浴する人、万病消除」という効能を人から聞いている。 三山あるいは本宮に参拝したのち、湯峰温泉に行く風習があったことは、 長承三年(1134)の待賢門院 鳥羽上皇が参拝する間、待賢門院は本宮にとどまっていて湯峰に行こうとしたが、鳥羽上皇が本宮に早く着いたため、中止した(長秋記) 承元四年(1220)の藤原頼質 藤原頼質は三山参拝ののち、湯峰にいっており、楊貴妃が愛用した中国西安郊外の華清宮にある「りざんの温泉に異ならず」と激賞している。 時代がくだると、本宮に着いてすぐ、奉幣の前に湯峰温泉に向うことも行われたようで、 応永三四年(1427)の北野殿は、中辺路を経て、「御前の坊に御つき、御祝いの後、湯峯に御のぼり、暮れて後還御、夜に御奉幣あり」とある。 注、鳥羽上皇の皇后待賢門院(たいけんもんいん) 注、室町幕府三代将軍足利義満の側室北野殿 参考文献 熊野古道 岩波新書 小山靖憲著 2002年5月2日第6刷 |