半日閑話

 書工汝圭が文化12(1815)年5月玄厚に宛てた大和、紀州に遊んだ消息を伝えた書簡が半日閑話に記載されている。

 それを要約すねと「本宮より小船で新宮まで、新宮から那智まで徒歩で、那智の滝から妙法山を越え、古座川に出て、古座川奥から小船で古座川中流域まで下り、ここから周参見町見老津まで徒歩」と思われる記述があります。

 この記述で「妙法山を越え古座川」と、ほぼ、これに近いルートを植物採集で、那智勝浦町色川から「坂足」方面に行った時の最初に、地元(色川)の山本氏から、「このルートの山道があり、現在は自衛隊による車が通行できる林道(現那智勝浦古座川線)が開発されている」と聞いた。妙法山の北側は本宮(小雲取越)で、妙法山の南側を通って古座に行く、山道があったことを伺わせる記述である。

 古座川町の小川から小森川奥(通称奥番という)は那智勝浦町妙法山の麓であったと記憶しています。この奥番で昭和50年前後に3回「キャンプ」して、遊んだ記憶があります。

 又、古座川からすさみ町見老津に来て、初めて海の色や岩のことについて記述されています。古座川中流域(現すさみ古座線)から周参見町江住(現大附見老津停車場線)、見老津(現上富田すさみ線)への山道があったことを示す記述である。