別当湛増闘鶏のこと |
前文略 さて、湛増が寿永(1182-1183)に平家が都を落ちた時、源氏からも平家からも加勢を頼まれて去勢を決しかね、この社の神前で白き鶏と赤き鶏を戦わせ、勝った方へ就くを神慮として占い、白い鶏が勝ったので源氏に党し熊野水軍を率いて壇ノ浦の戦いに参加したというのは、平家物語にも源平盛衰記にも記されていて有名な話である。 略 熊野別当は平治の乱に清盛をたすけて平氏の保護をうけ、平氏の没落の際は源氏に味方して鎌倉の好意をうけ、永久(1113-1117)には京方に味方して散々に失敗し、遂に滅びたのである 後文略 注、この社とは闘鶏神社(田辺市) 注、年号には西暦年を加えた。 参考文献 牟婁口碑集 雑賀貞次郎著 昭和26年6月1日発行 |