歴史の村・小口村

 <前文略>

 山中の陰棲地

 小口郷は古来山中の秘境であったのみならず、旧熊野参道に沿っていたため、世をしのぶ人たちにとっては、くっきょうな陰棲地となったようで、相当名のきこえた都人など、ここに落ちのびてひそかに世を送った者のあったことは事実らしい。

 奥地の不便な所にある戸数の少ない部落などは、たいていかような落人の遠い子孫だといわれ、系図・遺品・古文書などいろいろと伝承している家もあるという。

 雲鳥やしこの山路はさておきて

  おくちが原のさみしからぬか 西行 山家集

 小口郷への踏査行

 昭和8(1933)年

 私がはじめて小口郷をたずねたのは、遠く昭和8年8月のことで、それは、当時大阪毎日新聞社和歌山支局の記者で、郷土研究家だった西瀬英一氏の主唄と企画により、一行七名が(男子4名女子3名)が、裏紀州縦走コースの開発と人文及び自然に関する総合調査の目的で、縦走踏査をしたときのことである。

 当時の小口村

 実に草深い奥地の寒村で、明治維新以後、熊野参詣者の往来が全く絶え、多数の旅館をはじめ、旅人相手の業者はみな一様に失業して、更生の実いまだあがらず、深刻な疲幣の痛手にあえぐ廃駅といった感じが、まざまざと感じられた。

 私たち一行は、小口川畔のささやかな宿に一泊し、その夜は、村の古老との座談会に昔の話のかずかずを聞き、翌8月19日早暁、宿をたって、大雲取超えの旧参道に昔を偲びつつ、那智山を志したのであった。

 そのころ、大雲取山中の植林地の多くは、まだ下刈りの要があるほどの若木の林であったから、植林以前の天然林の樹木が、その刈り株から盛んに芽を出していたので、伐採前の林相が、ほぼ想像せられるであった。

 私たち一行の、そのありの詳細は、西瀬氏の麗筆により、同年の大毎紙上で10数回にわたって連載された。

 その後、同氏は、さらに他の紀行をも加え、「南紀風物誌」と題する単行本を出版された。

 昭和30(1955)年8月

 私は和歌山市文化協会の踏査団の一行として、一行三名(小川、中村、小山)中辺路から本宮を経て、大雲取超えに、再び小口郷を訪れた。

 その後、昭和38(1963)年8月までに

 前後数回この地の植物界に親しみをかさねた。ことに33(1958)年から昭和34(1959)年にかけては、4月、6月、8月、11月と、各季節にわたって踏査を重ねた。

 小口郷の発展

 この20年数年間における小口郷の発展は、実にすばらしく、車道は各方面に通じて、交通運輸の面が一新せられた。電話線は最奥の部落にまで、架設されて、通話自在となり、狭い歩み板によりおそるおそる渡った名ばかりの橋は、完全な鋼索の吊橋とかわり、石を並べた杉皮屋根の家屋ばかりだったのが、赤い瓦やスレート葺のスマートな建物が見られるようになり、暗くて油くさかった石油ランプは、昼をあざむく蛍光灯とかわるなど、文化の風の浸透がまことにめざましい。

 学校の建物などもよくととのい、中学校は設備優良校として、文部省から表彰を受けている。

 熊野詣での参道

 (1) 旧熊野街道

 小口の発展にひきかえ、大雲取・小雲取の山中を通じる旧熊野街道は、荒廃実にはなはだしくて壊滅状態になった所が多く、ただ、ところどころに残る苔むした石だたみや、階段道などによって、わずかにそのかみの盛時の一端が察せられるに過ぎない。

 そのうち、大雲取山前峠のあたりは、昼なお暗い杉の密林の下かげに、昔の参道がもとのままにかなりよく残っているので、雲ひくく垂れ、風なく鳥も鳴ぬ、静かな日など、苔なめらかな旧参道を、ただひとり、歩をはこんでいると、そぞろに昔がしのばれ、頭に兜巾(ときん)をいただいた山伏や、墨染の衣いと味勝げな旅僧の姿など、今にも目の前に現われ出そうな思いをさせる。

 (2) 大雲取超え

 昔の熊野詣では、決してなまやさしいものではなく、紀州路の幾山河に宿りの数を重ねた末、まず熊野本宮の御前にぬかずき、請川から志古の山路を過ぎて、熊野川沿いに新宮に詣でて、さらに那智 大社を拝した後、帰路はあえぎあえぎ雲鳥(大雲取)の嶮を超えて、ようやく小口川原にたどりついても、行くてには、なお小雲取の嶮が、峰頭に雲をやどして立ちふさがっているのである。

 (3) 小口川原

 その頃、茶店や宿屋は小口川原に沿って並んでいたが、また、大雲取の北の麓にほど近い山腹の「楠の久保」にも、10数軒はあったとのことで、そこには昔の茶店の石垣や宿の庭石など、草に埋もれて、今なお、ところどころに残っている。

 これらの宿の中には、時に野盗と結託して、旅人をなやます悪いのがあったり、また雪の夜には「ひとつたたら」という一本足の恐ろしい怪物が出没するなど、

 昔の雲取超えは、熊野参道での難所中の難所であったと伝えられている。

  いにしえの茶店の跡かも山の上

   石垣にして韮の咲く見ゆ     (ぬまお)南紀風物誌

  雨けむる峠路くらし昨夜ききし

   一つたたらを思いつつ超ゆ   (ぬまお)南紀風物誌

 <後文略>

 年中行事や民謡など詳しく記載されていますが省略します。

 参考文献

 伊植物誌T紀州路の植物と民俗をたずねて(小川由一著、昭和48年1月15日発行)」